真田一族と朝鮮出兵~「名護屋城」への在陣~

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朝鮮出兵の概要

全国統一を果たした豊臣秀吉は明の征服を試み、1587(天正15)年、対馬の大名・宗義智を通して朝鮮に入貢と明への出兵の先導を命じたが拒否された。
秀吉は肥前(佐賀県)の東松浦半島の北端に「名護屋城」(佐賀県唐津市)を築き、そこを本陣として1592(文禄元)年、15万余りの大軍を朝鮮に派兵した(「文禄の役」)。
釜山に上陸した日本軍は快進撃を続け、漢城(ソウル)・平壌(ピョンヤン)を占領するが、朝鮮水軍の活躍や明の援軍などにより戦局は不利になった。

秀吉は明との講和を画するが、秀吉の強硬な講和条件が受けいれられず、交渉は決裂して1597(慶長2)年、秀吉は再度14万余りの兵を派兵したが(「慶長の役」)、日本軍は当初から苦戦が続き、翌年、秀吉が没すると撤兵した。

真田父子への動員

真田昌幸は信幸・信繁(幸村)とともに「文禄・慶長の役」(いわゆる鮮出兵)に際して動員させられ「名護屋城」に在陣している。
以下、1951(昭和26)年から1969(昭和44)年にかけて編纂・刊行された『信濃史料』から関連史料を整理する。




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1591(天正19)年7月に「廿二日、豊臣秀吉、明年朝鮮ニ出征セントシ、軍勢ノ配備ヲ定ム、眞田昌幸・石秀康長等、肥前名護屋在陣ヲ命ゼラル、」とあり、「肥前名護屋在陣衆」に「七百人 眞田安房守昌幸同父子」、また「渡海人数」に「五百人 眞田安房守」とある(巻17)。
1592(文禄元)年の「文禄の役」おいて真田家は、「肥前名護屋在陣衆」に真田父子として700人の動員負担が命じられ、「渡海人数」として500人が指定されていた。

1592(文禄元)年正月には「廿八日、眞田信幸、田村雅樂助ニ、朝鮮出征ヲ命ジ、上野吾妻ノ地ヲ宛行フ、」とする書状がある(巻17)。
信幸が従軍する家臣に対し、新たな所領や武器を与えており、朝鮮出兵の準備が進んでいることがわかる。

なお、真田父子は、徳川家康ほか関東・奥羽の諸大名とともに16番衆に編成されたたために、朝鮮に渡海することなく、1593(文禄2)年8月に大坂に戻り、以後「伏見城」の築城を命ぜられている。

「名護屋城」の築城

真田父子が在陣した「名護屋城」は、玄海灘に向かって突き出した波戸岬の付け根に当たる標高90m ほどの丘陵上に築かれた。
丘陵上には、以前から松浦党の波多三河守信時の家臣にあたる名古屋越前守径述の居城があったが、大半が雑木林で覆われ、強風・干魃に見舞われなどして寂れたところであった。

この地に築かれた理由には、東西両端の名護屋浦と串浦という二つの入江により天然の良港の条件を備えていることや、壱岐・対馬を経て朝鮮半島にも近いことなどが考えられる。

築城工事は、縄張りを黒田孝高が担い、加藤清正・小西行長・黒田長政・寺沢広高が普請奉行として、1591(天正19)年10月から九州の諸大名を動員して突貫工事で進められた。
秀吉の着陣に間に合わせるため、先に石垣と天守および本丸などの主要な殿舎が造られ、1592(天正20)年3月に加藤清正らの第一陣が渡海した後、東国の諸大名らの手により、引き続き西ノ丸・東二ノ丸・本丸大手門・本丸裏表門・三ノ丸などが造営された。




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「名護屋城」の築城について、ルイス・フロイスは本国に報告した書簡の中で、無人で食糧や物資がない地に、関白秀吉が諸大名に工事を割り当て、4・5万の人夫が過酷な労働を強いられたことや、わずか数ヵ月にして素晴らしい宮殿や城が造られたこと、また、何もなかった原野に一つの新都市が建設されたことなどを記している。

おわりに

豊臣秀吉は朝鮮に大軍を派兵するにあたり、その本拠地(陣城)として「名護屋城」をわずか5ヶ月で築城した。
本丸には五重天守や御殿が建てられ、周囲には、真田父子など全国から動員された諸大名の陣所や城下町が築かれ、最盛期には人口10万人を超えるほど繁栄したという。
「名護屋城」に在陣した真田昌幸・信幸・信繁(幸村)の父子はどのように過ごしていたのだろうか。
次の稿では「名護屋城」の構造や現状、真田父子の陣所について紹介する。

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