真田家に関する女性などの情報
とり【恭雲院・河原殿】肝っ魂な妻である真田幸隆の正室
恭雲院(きょううんいん)は、河原隆正の妹(河原殿)とされ、生年に関しては1522年とする説がある。 この兄・河原隆正(河原丹波守隆正)は、海野棟綱や真田幸隆の譜代家老であり、海野家とは一族(分家)となる。 海野家が没落した1541年に武田...
真田家に関する女性などの情報
恭雲院(きょううんいん)は、河原隆正の妹(河原殿)とされ、生年に関しては1522年とする説がある。 この兄・河原隆正(河原丹波守隆正)は、海野棟綱や真田幸隆の譜代家老であり、海野家とは一族(分家)となる。 海野家が没落した1541年に武田...
さくらゆきさんと言う、2人組の歌手さんがおられますが、この「さくらゆき」さんは、歴史系の人物のイメージソング専門のアーティスト・歴史アイドル(歴ドル)として活動なさっておられます。小栗さくらさんと、遠野ゆきの2人組歴ドルです。歴史系アーティ...
右京の局(うきょうのつぼね)は真田信之(真田信幸)の側室です。出自は諸説あり、松代城代を務めた玉川秀政(玉川伊豫守)の娘とする説と、京都で薬屋をやっていた玉屋の娘とする説があります。※京都の右京にいたため、右京の局と呼ばれたとある。松代藩2...
平原幡繁(平原和泉守幡繁)は1520年生まれとされる。 平原城主(有利小屋城主)で、1549年に上田原の戦いで敗れた武田晴信に反旗を翻して、村上義清から500の援軍を受けて籠城している。 そして、9月2日に武田信玄に攻められたが耐えて、翌...
2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」に登場する、真田家の家臣・堀田作兵衛と、その娘・梅に関しても追記し更新致しました。堀田作兵衛興重(堀田興重)は真田家の家臣。堀田作兵衛(堀田興重)の娘は、一般的には真田信繁(真田幸村)の側室として知られ...
隆清院(隆性院、実名不詳・生没年不詳)は豊臣秀次の娘(次女?)である。NHK大河ドラマ「真田丸」においては「たか」と言う姫の名で描かれるようだ。演じる女優さんは岸井ゆきさん。豊臣秀次の娘の母は不明であるが、元々豊臣秀次(羽柴秀次)は側室が多...
石川貞清(いしかわ-きよさだ)は、美濃出身の兄・石川一光の一族と言われ、石川光重の子ともあるが詳しくは分からない。 豊臣秀吉の使番である金切裂指物使番として、1590年の小田原攻めにて功績を挙げた。 初名は石川光吉と名乗っていたようだ。 ...
高梨内記は真田昌幸の家臣で、九度山に幽閉された際に、同行した家臣16人の1人です。そして、高梨内記の娘・采女(うめね)が、真田幸村(真田信繁)の側室となり、次女・於市と、3女・阿梅(おうめ)を産んだとされます。ただし、於市は早世し、阿梅(お...
大阪夏の陣の際、江戸藩邸にた真田信之は、真田幸村(真田信繁)ず討死したとの報を受ける。その後、真田信之が沼田城に戻った際、鈴木忠重(鈴木右近忠重)が、京都の小野のお通から預かったとされる、真田幸村(真田信繁)の遺髪を、沼田に届けたと言う内容...
1604年生まれとされる阿梅(おうめ)は真田幸村の娘で、母は高梨内記の娘・采女(うめね)とも言われる。※采女とは高梨内記と言う武将の事を差しているとも推定されていますし、母親に関してはもちろん諸説あります。この高梨内記は、真田昌幸と真田幸村...