カテゴリー: 女性

右京の局とは~真田信之(真田信幸)の側室。

右京の局(うきょうのつぼね)は真田信之(真田信幸)の側室です。出自は諸説あり、松代城代を務めた玉川秀政(玉川伊豫守)の娘とする説と、京都で薬屋をやっていた玉屋の娘とする説があります。※京都の右京にいたため、右京の局と呼ばれたとある。松代藩2...

平原幡繁と清光院【真田昌幸の6娘】

 平原幡繁(平原和泉守幡繁)は1520年生まれとされる。 平原城主(有利小屋城主)で、1549年に上田原の戦いで敗れた武田晴信に反旗を翻して、村上義清から500の援軍を受けて籠城している。 そして、9月2日に武田信玄に攻められたが耐えて、翌...

おかねと石川貞清(石川光吉)~元・犬山城主

 石川貞清(いしかわ-きよさだ)は、美濃出身の兄・石川一光の一族と言われ、石川光重の子ともあるが詳しくは分からない。 豊臣秀吉の使番である金切裂指物使番として、1590年の小田原攻めにて功績を挙げた。 初名は石川光吉と名乗っていたようだ。 ...

高梨内記と娘きり【真田信繁の側室】

高梨内記は真田昌幸の家臣で、九度山に幽閉された際に、同行した家臣16人の1人です。そして、高梨内記の娘・采女(うめね)が、真田幸村(真田信繁)の側室となり、次女・於市と、3女・阿梅(おうめ)を産んだとされます。ただし、於市は早世し、阿梅(お...

阿梅【おうめ】とは? 真田幸村の娘・お梅のその後

1604年生まれとされる阿梅(おうめ)は真田幸村の娘で、母は高梨内記の娘・采女(うめね)とも言われる。※采女とは高梨内記と言う武将の事を差しているとも推定されていますし、母親に関してはもちろん諸説あります。この高梨内記は、真田昌幸と真田幸村...