とり【恭雲院・河原殿】肝っ魂な妻である真田幸隆の正室

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 恭雲院(きょううんいん)は、河原隆正の妹(河原殿)とされ、生年に関しては1522年とする説がある。

 この兄・河原隆正(河原丹波守隆正)は、海野棟綱や真田幸隆の譜代家老であり、海野家とは一族(分家)となる。
 海野家が没落した1541年に武田信玄に降伏して仕えたとされるが、密かに身を隠していたとも言われている。

 河原隆正の妹は真田幸隆に嫁いだが、真田幸隆も信濃から追われて浮浪の身となったので、当時は相当な苦労であったと推測される。
 そんな中でも真田信綱(1537年誕生)、真田昌輝真田昌幸真田信尹ら男子を産んだほか、2人の娘がいる。

 また、真田幸隆の子にはもう1人、真田高勝がいるが、これは河原殿(恭雲院)の子かは不明だ。




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 いずれにせよ、戦国時代「初期」の武家において「正室」と言う者は、家臣らの人数を把握=動員できる兵力を調査しておくなど、家臣統制においても夫を補佐すると言う重要な役割を担っていたと言われる。
 ※武田信玄に信濃を追われた小笠原長時は、家臣の兵力数も把握できていなかったとされる。
 このように正室の「内助の功」「賢妻の鑑」と言った実力が、その御家存続に大きくかかわる場面があったと言っても過言では無く、その点、真田家は歴代の正室の存在感は高く、河原殿(恭雲院)も優れた女性であったと推測できる。

 2016年の大河ドラマ「真田丸」では、河原殿(恭雲院)である「とり」と言う女性を、女優の草笛光子さんが演じる。
 箕輪城から木曽福島城まで滝川一益の人質として移動したあとの、木曽義昌とのやり取りは、見どころの一つでもある。

真田丸のあらすじ~第7話から第8話まで【NHK大河ドラマ2016】

 上田城にて死去した河原殿(恭雲院)の没年は2説ある。
 1つは、真田家の墓所である長谷寺墓にある1592年5月20日。
 もう1つは長谷寺過去帳の1593年8月1日。
 享年はおおよそ72歳となる。

 戒名は恭雲院喜山理慶大姉。

河原殿(恭雲院)の墓がある上田・長谷寺の紹介はこちら
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