
真田幸村の妻と子・娘は下記の通りです。
正室・竹林院(大谷吉継の娘)
※妹婿である浅井内蔵之助の娘が、大谷吉継の養女になって嫁いだとも?
女子:あぐり(あくり) – 蒲生郷喜の室
長男:真田大助(真田幸昌)
女子:阿昌蒲(おしょうぶ、菖蒲) – 片倉定広(田村定広)の正室
女子:おかね(於金殿)- 石川貞清(石川光吉)の正室
次男:真田大八(片倉守信) – 仙台真田家初代当主
側室・隆清院(興清院)(豊臣秀次の娘)
三男:三好幸信
女子:なほ(御田姫、顕性院) – 岩城宣隆の側室
側室・堀田興重(堀田作兵衛興重)の娘、または妹(名前不詳)→梅
女子:阿菊(お菊、すへ) – 石合重定室
側室・高梨内記の娘
女子:於市 – 早世
女子:阿梅(おうめ) – 仙台藩の筆頭家老・片倉重長の継室(後室)
母不詳の四男・真田之親(石田之親)
9娘とされる阿安姫(墓所は静岡県浜松市の両光寺)
真田阿安
1615年、大阪夏の陣の際には真田幸村は、9娘「阿安姫」を信州・松代城に連れて行くよう家来・松沢彦次郎に託したが、遠江・浜名郡富塚村安座にて阿安姫は病床に伏し、亡くなったとされている。
松沢彦次郎は、そのまま百姓として土着し、松沢家代々が徳川毛の詮議を逃れながら、自然石を積み重ねて「姫塚」として供養したと言われており、現在は「両光寺」墓所に移転している。
真田栗毛
真田信繁(真田幸村)が大阪の陣にて使用した愛馬とされます。
その後の真田栗毛と言う馬の生涯は下記をご参照願います。
※真田信繁の妻子に関しては諸説あります。上記のその一説となります。他の記事に関しても諸説ある中よりご紹介させて頂いております事、ご確認申し上げます。
→大坂の陣のあとの真田信繁(真田幸村)の家族動向
→片倉景綱と片倉重長~智勇と温情を兼ね備えた片倉小十郎
→真田幸村とは 【真田信繁の生涯】 詳細版~徳川家に徹底対抗する人生を全うした名将
→真田家関連カテゴリは約60記事あります
→大河ドラマ「真田丸」関連は約100記事以上
→真田幸村が9年間暮らした「九度山とはどんなところ?」
→鹿児島に落ち延びた真田幸村と豊臣秀頼伝説を追ってイザ現地調査
最新情報をお届けします
Twitter でフォローしよう!
Follow @jprekiあなたの思いを下記に
-
2015年 6月 11日トラックバック:田村宗顕と片倉定広(田村定広)と阿昌蒲(菖蒲) -真田家の館
-
2015年 6月 12日トラックバック:堀田興重と阿菊(お菊、すへ) -真田家の館
-
2015年 7月 03日トラックバック:由利鎌之介 鎖鎌の名人~(真田十勇士) -戦国武将
-
2015年 7月 03日トラックバック:矢沢頼康~真田家第一の家臣 -戦国武将
-
2015年 7月 04日トラックバック:筧十蔵~真田十勇士 -戦国武将
-
2015年 7月 04日トラックバック:大坂の陣のあとの真田信繁(真田幸村)の家族動向 -戦国武将
-
2015年 7月 10日トラックバック:小松姫と真田信幸(真田信之)の2人の生涯 -戦国武将
-
2015年 7月 10日
-
2015年 9月 09日トラックバック:真田幸村の妻子・兄弟・両親などの系譜 -戦国武将
-
2015年 9月 09日トラックバック:真田信綱【真田幸隆の嫡男】~長篠の戦いで散る -戦国武将
-
2015年 11月 04日
-
2015年 12月 09日トラックバック:おかねと石川貞清(石川光吉) -真田丸
-
2015年 12月 17日トラックバック:他の登場人物を予想・予測【大河ドラマ真田丸】 -真田丸
-
2015年 12月 20日トラックバック:阿梅【おうめ】とは? 真田幸村の娘・お梅のその後 -真田丸
-
2015年 12月 20日
-
2016年 1月 02日トラックバック:隆清院(隆性院)と御田姫(なほ)・三好幸信の生涯 -真田丸
-
2016年 1月 05日
-
2016年 1月 05日トラックバック:真田昌幸~戦国時代を巧みに生き抜き真田家を守った名将 -戦国武将
-
2016年 5月 30日
-
2016年 9月 29日
-
2016年 10月 02日
-
2016年 10月 22日
-
2016年 10月 24日
-
2016年 11月 21日
-
2016年 12月 25日トラックバック:真田大八【片倉守信、真田守信】生き残った真田幸村の次男 -真田丸
-
2016年 12月 30日トラックバック:根津甚八、祢津甚八郎(真田十勇士) -戦国武将1000記事
-
2018年 6月 21日
-
2018年 11月 05日トラックバック:真田幸村の妻子・兄弟・両親などの系譜 | 戦国武将列伝Ω
-
2018年 11月 05日
この記事へのコメントはありません。