真田之親(さなだ-ゆきちか)の生没年不詳。
真田幸村(真田信繁)の4男とされるが、母などは不明。
別名としては石田之親、石田権左衛門とある。
真田幸村が九度山で蟄居していた際に、百姓の娘に産ませた子とも伝わる。
ただし、大坂冬の陣の前には生まれていたようだ。
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1615年、大坂夏の陣のあと、讃岐に逃れると細川国弘(石田国弘)の保護を受け、2年後に養子になったと言う。
「全讃史」では、真田幸村が大坂城から脱出して讃岐に至り、その地で生まれた子が真田之親であるとされている。
その子孫が、明治に入ってから真田姓に復した。