真田栗毛の墓~大分にあった真田幸村の愛馬の墓

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九州は大分県大分市、JR豊肥本線の滝尾駅から歩いて5分の距離にある「碇山」には、真田栗毛の墓があります。

真田栗毛(さなだくりげ)と言うのは、真田家が所有していた栗毛の馬で、その馬の墓があると言う事になります。

真田栗毛の墓

この真田栗毛(馬)は、大阪冬の陣の際に、真田幸村が乗馬した愛馬であったとされます。
徳川家康の孫・松平忠直の家臣である西尾宗次(西尾仁左衛門)が真田信繁(真田幸村)を安居神社付近で討ち取りました。
家臣の手柄は、主君の戦功ですので、この功績により、捕まっていた「真田栗毛」は、松平忠直に与えられたと言う事になります。

のち、松平忠直は豊後府内藩で謹慎したのですが、この時、真田栗毛も連れて来たようです。
しかし、数年後に真田栗毛が亡くなり、松平忠直は手厚く葬ったといわれており、ここ、碇山に真田栗毛の墓があると言う事になります。

碇山は標高56mで、大分県で一番低い山ともされ、山頂部には松平忠直ゆかりの熊野神社もあります。

その昔、この碇山は海に隔たれた「島」だったそうで、神武天皇が東遷した際に、ここに碇を打って停泊したとの言い伝えから碇島と呼ばれていたのが、島ではなくなったため、碇山と名づけられたそうです。

例えば、徳川家康の墓がある、静岡にある久能山東照宮にも、その徳川家康の墓のすぐ近くに、徳川家康の愛馬の墓、すなわち「馬の墓」があり、四国では長宗我部元親の愛馬の墓、九州では島津義弘愛馬の墓、あと熊本の加藤清正の霊廟脇にもありますが、いずれも大大名クラスでして、他には記憶にありませんので、珍しい部類に入ります。

真田栗毛の墓がある、碇山の駐車場は麓から入って鳥居をくぐった右側に、4~5台止められるスペースがあります。
下記の地図ポイント地点となります。

ただし、この付近、昔ながらの道で狭いですので、カーナビで上記地図の場所を指定して行くと良いでしょう。
地図の縮尺は自由に変えてご覧願います。
また、走行にはどうぞ充分にご注意願いたく存じます。




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なお、この碇山には一伯公(松平忠直)霊廟もあると言います。
お参りさせて頂く予定だったのですが、鳥居のところの道路を工事していまして、私がクルマを止めているあいだ、工事の方が作業を中断してくださっていました。
そのため、真田栗毛だけ撮影する5分間だけ急ぎ失礼させて頂きました。
工事の方、ご配慮を賜りまして、誠にありがとうございました。

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