小野お通【小野於通、小野通】戦国時代に名を残す謎多き京の才女
小野お通とは大阪夏の陣の際、江戸藩邸にいた真田信之は、真田幸村(真田信繁)が討死したとの報を受ける。その後、真田信之が沼田城に戻った際、鈴木忠重(鈴木右近忠重)が京都の小野のお通から預かったとされる。真田幸村(真田信繁)の遺髪を、沼田に届け...
小野お通とは大阪夏の陣の際、江戸藩邸にいた真田信之は、真田幸村(真田信繁)が討死したとの報を受ける。その後、真田信之が沼田城に戻った際、鈴木忠重(鈴木右近忠重)が京都の小野のお通から預かったとされる。真田幸村(真田信繁)の遺髪を、沼田に届け...
片倉景綱とは片倉景綱(かたくら-かげつな)は、伊達政宗の家臣で軍師的な役割を担った重臣であるが「片倉小十郎」と言った方が分かりやすいだろう。片倉景綱(片倉小十郎)は、1557年に片倉景重の次男として誕生した。母は本沢真直の娘(本沢刑部真直の...
従来の真田丸真田丸は1615年の大坂冬の陣において、大坂城に入城した真田信繁(幸村)が造営した出丸である。信繁は作戦方針を巡り、後藤又兵衛らの浪人衆とともに、城から打って出る積極策を提案するが、大野治長らの豊臣家直臣に阻まれ籠城策に決まった...
青柳清庵(あおやぎ-せいあん)は戦国時代の1550年?生まれとされる。元々、青柳家と言うのは、北信濃で君臨した村上義清の家臣で、武田信玄が川中島へ進出を図った際に、真田幸隆によって調略されて、武田家臣になった。この時、青柳近江守、青柳伊勢守...
伊木遠雄(いき-とおかつ/いき-とおたけ)は、尾張の出身・伊木忠次の長男で1567年生まれ。通称は伊木半七。伊木七郎右衛門。なお、伊木家は平清盛の末裔とされている。豊臣秀吉の近習として仕えると、賤ヶ岳の戦いで戦功を挙げ、野々村雅春、青木一重...
2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」にて、まさに大注目の大阪府・和歌山県の真田信繁(真田幸村)ゆかりある史跡・観光スポットをご紹介致します。まずは大阪府の史跡からご紹介させて頂きますが、大阪府では主に大阪冬の陣と大阪夏の陣での史跡・神社な...
大阪の一心寺から国道25号線を挟んで向かいにある、菅原道眞公と少彦名神が御祭神の安居神社(安居天満宮)は、大阪夏の陣で真田幸村(真田信繁)が討死した場所とされています。1615年5月7日、子の真田大助を大阪城へ返し、茶臼山から出撃した真田幸...
大阪の心眼寺(しんがんじ)は、1622年に白牟和尚(はくむ)が、真田信繁(真田幸村)と真田大助の冥福を祈るために創建した堂舎です。白牟上人は滋野氏の一族であると言う説もあり、創建から寺の定紋は六文銭で、山号は真田山と称します。しかし、当時の...
真田十勇士とは戦国時代に、真田幸村に付き従ったとされる10人の家臣です。とは言え、物語の創作上の人物です。ただし、何人かは実在の人物をモデルにしていると考えられています。真田十勇士の起源は、講談を書籍にして発刊し、大正時代に大人気となった「...
海野六郎(うんの-ろくろう)は、真田十勇士に登場する人物で、実在した真田家の家臣がモデルとされている。 「真田三代記」では、海野六郎兵衛利一(1571年~1615年)として登場し、他に海野小平太がモデルとの説もある。 海野六郎兵衛利一は、...