横谷幸重と横谷重氏とは【佐助の兄なのか?】
横谷幸重(よこや-ゆきしげ)は、通称を横谷左近と言い、真田忍者として知られる。 父は横谷惣右衛門。弟に横谷惣左衛門幸秀と、横谷庄八郎重氏がいる。 もともとは雁ヶ沢城を本拠とする土豪で、真田昌幸・真田信之の2代に仕えた。 出浦清種(出羽清種...
横谷幸重(よこや-ゆきしげ)は、通称を横谷左近と言い、真田忍者として知られる。 父は横谷惣右衛門。弟に横谷惣左衛門幸秀と、横谷庄八郎重氏がいる。 もともとは雁ヶ沢城を本拠とする土豪で、真田昌幸・真田信之の2代に仕えた。 出浦清種(出羽清種...
樋口角兵衛(ひぐち-かくべえ)は、樋口鑑久(樋口下総守鑑久)の子で、母は久野と言う。 この母・久野は、真田昌幸の正室である山手殿の妹とされる。 甲斐の甲府にいた際には、向かってきた暴れ馬を押しつけたという逸話がある。 武勇に優れた武将で、...
常田隆永(ときだ-たかなが)の父は諸説有、真田頼昌、海野棟綱、海野幸義などがある。 海野棟綱の3男とする説になると、武田信玄に仕えた真田幸隆が兄であり、常田隆永は常田家に養子として入った。 なお、矢沢頼綱よりも早く武田幸隆の配下に加わった...
真田幸昌(さなだ-ゆきまさ)は、1601年7月24日に真田幸村(真田信繁)の嫡男として九度山にて生まれた。通称は真田大助。母は竹林院(大谷吉継の娘)と推定されているが、生年は1600年~1603年と諸説ある。祖父・真田昌幸の名を逆にし、幸昌...
真田信政(さなだ-のぶまさ)は、真田信之の次男として1597年11月に生まれた。母は本多忠勝の娘である小松姫。関ヶ原の戦いの際に、徳川家の人質として江戸城に送られている。この時、徳川家康は真田信之の忠義に対して「吉光の短刀」与え、真田家の家...
真田信吉(さなだ-のぶよし)は、真田信幸(真田信之)の長男として、1595年に生まれた。母は、この当時正室であったとも考えられる真田信綱の娘(清音院)。この母は、のちに真田信幸が本多忠勝の娘・小松姫を迎えた際に、側室に降格となっている。なお...
大阪夏の陣の際、江戸藩邸にた真田信之は、真田幸村(真田信繁)ず討死したとの報を受ける。その後、真田信之が沼田城に戻った際、鈴木忠重(鈴木右近忠重)が、京都の小野のお通から預かったとされる、真田幸村(真田信繁)の遺髪を、沼田に届けたと言う内容...
真田信之(さなだ-のぶゆき)は、武藤喜兵衛(真田昌幸)の嫡男として1566年に生まれた。幼名は源三郎。母は山手殿。父・武藤喜兵衛は、真田幸隆の3男であったことから、武藤三郎左衛門尉の養子となっており、騎馬15騎、足軽30人を率いる足軽大将と...
三井景国(三井覚左衛門景国、三井奉膳、みついかげくに)は、はじめ真田昌幸に仕えた譜代の家臣。 三井家は、真田幸隆の叔母が三井家に嫁したことから、真田家とは親戚となり、真田氏家紋の「六文銭」を用いている。 三井景国は、1600年の第二次上田...
真田信尹(さなだのぶただ)は、真田幸隆の4男として1547年?に誕生した。 母は正室・河原隆正の妹・恭雲院。 兄に真田信綱、真田昌輝、真田昌幸がいる。 なお、真田昌幸と歳が同じであることから、母は側室だったとする説や、双子だったと言う説...