真田信政(さなだ-のぶまさ)は、真田信之の次男として1597年11月に生まれた。
母は本多忠勝の娘である小松姫

関ヶ原の戦いの際に、徳川家の人質として江戸城に送られている。
この時、徳川家康は真田信之の忠義に対して「吉光の短刀」与え、真田家の家宝となって伝わり、現在、松代城下の真田宝物館に展示されている。

父・真田信之の体調が悪く、1614年、大坂冬の陣では兄・真田信吉と共に参戦した。
1615年の大阪夏の陣でも同様に参戦したが、豊臣勢に敗れて後退している。

正室は稲垣重綱の娘であったが、子ができなく離婚している。
側室は小野国子(小野宗鑑尼、円徳院、2代目の小野お通で、徳川家光に随行して京都に滞在した際に長男・真田信就をもうけている。
他の側室は、浜松の局、松寿院(高橋氏の娘)、永寿院、自照院、法性院など。

1617年6月、従五位下大内記に叙任され、従四位下に昇叙すると、侍従を本官にして大内記を兼任した。

1622年10月、父・真田信之の松代城転封の際に、埴科1万7000石を分知されて大名に列した。



沼田城主から

1634年、沼田城主であった兄・真田信吉が早世して、甥の真田熊之助が相続する。
この時、まだ4歳であった熊之助の後見役として沼田領を経営した。
そして、1639年、熊之助が早世すると沼田藩主になる。
沼田領3万石のうち5000石は真田熊之助の弟・真田信利に分与し、それまで知行していた松代藩内の1万7000石は弟・真田信重に譲っている。

1656年、ようやく父・真田信之の隠居が許されると、松代藩主として真田本家を相続したが、わずか2年後の1658年3月8日に父より先に死去した。62歳。

下記は、松代城下にある長国寺「真田家墓所」の真田信政の墓

真田信政の墓

真田信政の霊屋も松代・長国寺にあったが、現在は移築されて林正寺の本堂になっている。

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