武田信玄誕生の城「要害山城」~躑躅ヶ崎館の「詰の城」~
要害山城の概要・アクセス要害山城(山梨県甲府市)は1520年(永正17年)6月、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)から北東へ約2.5㎞離れた標高約800mの要害山に武田信虎によって築城された山城である。武田信虎・武田信玄・武田勝頼の三代にわた...
要害山城の概要・アクセス要害山城(山梨県甲府市)は1520年(永正17年)6月、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)から北東へ約2.5㎞離れた標高約800mの要害山に武田信虎によって築城された山城である。武田信虎・武田信玄・武田勝頼の三代にわた...
整備計画と発掘調査城郭を調査する方法には、文献史料や絵図類などを読み解く文献調査や、現地に赴き現状の遺構を観察する縄張調査、そして発掘調査で発見された遺構や遺物を分析・考察する方法がある。躑躅ヶ崎館(山梨県甲府市)は1519年(永正16年)...
躑躅ヶ崎館山梨県甲府市に所在する躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)は、1519年(永正16年)の築城から1581年(天正9年)年に新府城に移転するまでの約60年間、武田信虎・武田信玄・武田勝頼の3代の居館となり、領国経営の中心であった。武田氏...
山本勘助山本勘助(やまもと-かんすけ) 諱・晴幸まず、山本勘助の存在として、そのものが実在したのか、それとも架空の武将なのか、そのこと自体はっきりとした証明ができない、謎に包まれた伝説の武将である。【甲陽軍鑑】や他の文献によると、1493年...
恭雲院(きょううんいん)は、河原隆正の妹(河原殿)とされ、生年に関しては1522年とする説がある。 この兄・河原隆正(河原丹波守隆正)は、海野棟綱や真田幸隆の譜代家老であり、海野家とは一族(分家)となる。 海野家が没落した1541年に武田...
小山田茂誠(小山田重誠、おやまだ-しげまさ)は、郡内小山田氏の一族である小山田有誠(小山田弾正有誠)の子として1567年に生まれた。小山田六左衛門、小山田壱岐守とも称している。郡内領主の小山田家の一門は複数の分家が存在しており、近年発見され...
出浦盛清(出浦昌相)出浦盛清(いでうらもりきよ)は、村上氏の一族で更級郡村上村の出身。2016年の大河ドラマ「真田丸」では出浦昌相(いでうらまさすけ)の方の名前が採用されて、俳優の寺島進さんが演じる。出浦清種(出浦左衛門尉清種)の次男とされ...
禰津元直(ねづ-もとなお)は、信濃の小県郡禰津を本拠地とする戦国武将で、1495年生まれ。根津元直、祢津元直とも書く。官途は宮内大輔。禰津常安斎とも。子は禰津勝直、禰津政直、禰津信忠。1541年、武田信虎が小県へ侵攻した際に村上義清の軍勢に...
真田昌幸が最初、養子に入った武藤家に関して調べてみました。 甲斐の武藤家は、甲斐源氏である武田氏の庶流・大井氏からの支族であり、武田信玄の母・大井の方が、その大井氏の出身です。 すなわち、武藤家は武田家の親族衆です。 戦国時代の甲斐・武藤...
常田隆永(ときだ-たかなが)の父は諸説有、真田頼昌、海野棟綱、海野幸義などがある。 海野棟綱の3男とする説になると、武田信玄に仕えた真田幸隆が兄であり、常田隆永は常田家に養子として入った。 なお、矢沢頼綱よりも早く武田幸隆の配下に加わった...