タグ:武田信玄

  • 山本勘助

    名軍師と伝わる山本勘助~その謎に満ちた生涯に迫る

    山本勘助 山本勘助(やまもと-かんすけ) 諱・晴幸 まず、山本勘助の存在として、そのものが実在したのか、それとも架空の武将なのか、そのこと自体はっきりとした証明ができない、謎に包まれた伝説の武将である。 【…
  • とり【恭雲院・河原殿】肝っ魂な妻である真田幸隆の正室

     恭雲院(きょううんいん)は、河原隆正の妹(河原殿)とされ、生年に関しては1522年とする説がある。  この兄・河原隆正(河原丹波守隆正)は、海野棟綱や真田幸隆の譜代家老であり、海野家とは一族(分家)となる。 …
  • 小山田茂誠【小山田重誠】とは~真田家を頼った小山田一族

    小山田茂誠(小山田重誠、おやまだ-しげまさ)は、郡内小山田氏の一族である小山田有誠(小山田弾正有誠)の子として1567年に生まれた。 小山田六左衛門、小山田壱岐守とも称している。 郡内領主の小山田家の一門は複…
  • 出浦盛清【出浦昌相】(出浦対馬守盛清)とは~出浦昌相の最期は

    出浦盛清(出浦昌相) 出浦盛清(いでうらもりきよ)は、村上氏の一族で更級郡村上村の出身。 2016年の大河ドラマ「真田丸」では出浦昌相(いでうらまさすけ)の方の名前が採用されて、俳優の寺島進さんが演じる。 出浦…
  • 禰津元直と根津政直と禰津昌綱(根津信光)とは

    禰津元直(ねづ-もとなお)は、信濃の小県郡禰津を本拠地とする戦国武将で、1495年生まれ。 根津元直、祢津元直とも書く。官途は宮内大輔。禰津常安斎とも。 子は禰津勝直、禰津政直、禰津信忠。 1541年、武田信虎…
  • 甲斐の武藤家とは? 真田昌幸が継いだ武藤家

     真田昌幸が最初、養子に入った武藤家に関して調べてみました。  甲斐の武藤家は、甲斐源氏である武田氏の庶流・大井氏からの支族であり、武田信玄の母・大井の方が、その大井氏の出身です。  すなわち、武藤家は武田家の親族衆…
  • 常田隆永と常田俊綱と常田隆頼そして常田作兵衛

     常田隆永(ときだ-たかなが)の父は諸説有、真田頼昌、海野棟綱、海野幸義などがある。  海野棟綱の3男とする説になると、武田信玄に仕えた真田幸隆が兄であり、常田隆永は常田家に養子として入った。  なお、矢沢頼綱よ…
  • 白倉武兵衛とは~武田家臣から真田家に仕えた武将

     白倉武兵衛(しろくら-ぶへい)は、1547年生まれの武田家の家臣で、1564年に箕輪城攻めの際、真田幸隆が武田信玄に使いを出した武田家武将として白倉武兵衛の名が見られる。  武田勝頼の自決後、白倉武助(父か?)と…
  • 真田信之【真田信幸】とは?詳細版で詳しくわかる吉光のお長持

    真田信之(さなだ-のぶゆき)は、武藤喜兵衛(真田昌幸)の嫡男として1566年に生まれた。幼名は源三郎。 母は山手殿。 父・武藤喜兵衛は、真田幸隆の3男であったことから、武藤三郎左衛門尉の養子となっており、騎馬15…
  • 真田信尹【真田隠岐守信尹】の生涯

      真田信尹(さなだのぶただ)は、真田幸隆の4男として1547年?に誕生した。  母は正室・河原隆正の妹・恭雲院。  兄に真田信綱、真田昌輝、真田昌幸がいる。  なお、真田昌幸と歳が同じであることから、母は側室…

最新記事

  1. 伏見城

    豊臣秀吉晩年の城・「伏見城」~築城経緯と真田父子が果たした役割~

    概要 豊臣秀吉が晩年に京都市伏見に築城した「伏見城」(京都市伏見区)は、宇治川北岸の泰長老の辺りに…
  2. 名護屋城

    真田昌幸・信幸・信繁(幸村)父子が在陣した「名護屋城」~構造・整備状況を中心に~

    概要 真田昌幸・信幸・信繁(幸村)父子は、1592(文禄元)年から1598(慶長3)年までの朝鮮出…
  3. 名護屋城

    真田一族と朝鮮出兵~「名護屋城」への在陣~

    朝鮮出兵の概要 全国統一を果たした豊臣秀吉は明の征服を試み、1587(天正15)年、対馬の大名…
ページ上部へ戻る