女性などの情報
阿梅【おうめ】とは? 真田幸村の娘・お梅のその後
1604年生まれとされる阿梅(おうめ)は真田幸村の娘で、母は高梨内記の娘・采女(うめね)とも言われる。※采女とは高梨内記と言う武将の事を差しているとも推定されていますし、母親に関してはもちろん諸説あります。この高梨内記は、真田昌幸と真田幸村...
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1604年生まれとされる阿梅(おうめ)は真田幸村の娘で、母は高梨内記の娘・采女(うめね)とも言われる。※采女とは高梨内記と言う武将の事を差しているとも推定されていますし、母親に関してはもちろん諸説あります。この高梨内記は、真田昌幸と真田幸村...
あぐりは真田幸村の4娘として誕生しました。 母は正室。竹林院ですが、あぐりの生没年は不詳です。 母の説では、高橋内記の娘説もあるようです。 あぐりと母・竹林院は、大阪夏の陣の際、紀伊にて隠れていましたが捕縛され、京都にいた徳川家康に引き渡...
真田昌幸が築いた上田城から西へと約10分ほど歩くと「芳泉寺」があります。 上田城から向かう経路からご紹介したいと思います。 現在の上田城からは、西側にある小泉橋を抜けて道なりに進むと、旧松本街道の石碑が見えてきます。 その坂へ左折して降...
村松殿(むらまつどの)は、1565年に甲府で生まれた。名は於国。 父は武田信玄の家臣・真田昌幸で、母は正室・山手殿とされる。 弟に真田信幸(真田信之)・真田信繁(真田幸村)らがいる。 村松殿は、1582年頃、小山田信茂の一門と考えられる、...
山手殿は宇多頼忠の娘という説が有力だが、武田信玄の家臣・遠山右馬助の娘とする説もあり、良くわかっていない。生年は不詳。 いずれにせよ、1564年頃?に、武田信玄の足軽大将・武藤喜兵衛(後の真田昌幸、20歳)の正室となった。 別名は山手之殿...
竹林院(ちくりんいん)の生年は不明。本名も不明。 大谷吉継の娘とされるが、妹・姪とする説もある。 大谷吉継の妻(正室・側室)の名前は不明である為、竹林院の母の名も不明で、生まれた年も分からない状況となっている。 ※「安岐姫」「利世」という...
真田幸村(真田信繁)の両親は下記の通り。 父 真田昌幸 母 宇多頼忠の娘・山手殿 真田幸村の兄弟は下記の通り。 姉 村松殿 小山田茂誠の正室 兄 真田信之 信濃松代藩・初代藩主 弟 真田信勝 弟 真田昌親 妹 真田幸政の正室 妹 鎌原重...
大阪夏の陣で討ち死にした真田幸村。九度山で生活していた家族は、真田幸村が大阪城に入った際に同行したとされるが、大阪城落城後は、どのような人生・生涯を送ったのだろうか? そんな「家族」に焦点をあてて、このページではご紹介する。真田幸村の家族の...