真田信繁(幸村)が人質・家臣として過ごした「春日山城」~人質の経緯と「春日山城」の概要~

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武田氏滅亡後の真田氏の動向と信繁

真田信繁の父・真田昌幸は1582(天正10)年3月に武田家が滅亡すると織田信長に服属した。
昌幸は信濃佐久・小県2郡と上野国を管轄した滝川一益の与力となり、「厩橋城」に母・恭雲院と次男で当時11歳の弁丸(信繁)を人質として送った。

1582(天正10)年6月2日の本能寺の変で信長が没し、一益が信濃・上野国を放棄して撤退すると、昌幸は7月に北条氏に従属した。
一益の人質となっていた恭雲院と弁丸(信繁)は木曽義昌の居城「木曽福島城」に預けられるが、木曽(長野県木曽町)での滞在時に、信繁は「弁」の名で近いうちに帰るという趣旨の書状を河原綱家(恭雲院の甥)に出している(「河原家文書」)。




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8月22日に義昌が徳川家康に従うと、恭雲院と弁丸(信繁)も他の人質と同様に、徳川氏に引き渡され、昌幸も9月28日には家康に従っている。

上杉景勝の人質・家臣となった信繁

1585(天正13)年6月、弁丸と呼ばれていた真田信繁は、上杉景勝への人質として「海津城」(長野県長野市)を経て「春日山城」(新潟県上越市)へ送られた。

これ以前から、真田氏は「沼田城」(群馬県沼田市)の所属をめぐり北条氏らと対立していた。
1584(天正12)年12月、徳川家康は羽柴秀吉との小牧・長久手の戦いの和議を結ぶと、翌年4月、真田昌幸に対して和議の条件でもあった沼田領を北条氏に引き渡すように求めた。
しかし、昌幸はそれを拒否し家康から離反、上杉氏を頼ることにしたのである。

信繁は人質として「春日山城」へ送られたが、景勝の家臣として厚遇されたと考えられる。
例えば、1585(天正13)年6月24日に、信繁が「弁」の名で屋代氏旧領(長野県千曲市)内の地を屋代氏旧臣の諏訪久三に与えるとする発給文書(「諏訪文書」)が残されている。
これは、信繁が景勝から与えられた1,000貫文の所領の一部をあてがったもので、信繁が景勝の家臣になったことにともなうものと伝えられている(「管窺武鑑」「真武内伝」)。

また、翌1586(天正14)年には、信繁の母である山之手殿が上杉氏の人質となっているが(「山神神社文書」)、これは、上杉氏の家臣となっていた信繁の代わりに、人質を務めたものと考えられている。
信繁が上杉氏家臣として、どのような働きをしたかを明確に示す資料はないが、「春日山城」に詰めていたことは知られている(「管窺武鑑」など)。

信繁が滞在した「春日山城」の概要

「春日山城」は越後国守護であった上杉氏の「詰め城」として、守護代の長尾氏が城主を務めた。
越後国府中(新潟県直江津市)の「御館」から西南方向に3,500mほどの頸城平野の北西部、荒川左岸の山上に位置する全国的にも大規模な山城である。




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「春日山城」へのアクセス・は次のとおりである(いずれも春日山神社・謙信公銅像まで)。
*公共交通機関利用
  トキ鉄・妙高はねうまライン「春日山駅」より徒歩40分
  頸城バス「中屋敷」下車徒歩20分、頸城バス「春日山荘前」下車徒歩15分
*自家用車利用
  北陸自動車道「上越IC」より15分、上信越自動車道「上越高田IC」より20分

永正年間(1504~21年)頃に、守護代長尾為景が本格的な山城として拡充し、その跡を継いだ長尾景虎(のちの上杉謙信)が城域の拡大と施設の整備を強力に進めた。
1598(慶長3)年、謙信の跡を継いだ上杉景勝が会津に移封されるまで、戦国大名上杉氏の居城として機能した。




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その構造は標高182mの春日山の北先端に「実城」と呼ばれる主郭部を配置、その周辺に多くの曲輪を階段状に展開しており、近接する山々にも多くの支城を巡らして防備を固めている。
また、山の裾野には延長1.2kmにも及ぶ堀と土塁によって総構がつくられており、難攻不落の山城であった。
なお、「春日山城」の歴史や構造、現状などの詳細については次の稿で説明する。

(寄稿)勝武@相模

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