真田信繁(真田幸村)ゆかりの「春日山城」の歴史~築城・普請・廃城~

春日山城



築城時期

春日山城」(新潟県上越市)は、室町時代・戦国時代・江戸時代初期の戦乱の中で、越後(現新潟県)の守護代長尾氏・戦国大名上杉氏・近世大名堀氏の本城として機能し、1605(慶長10)年に廃城となった。

その築城時期について、もっとも早い時期のもとしては南北朝時代の正平年間(1346~70年)とする説がある。
「長尾系図」に「為二高景執事職一住二鉢峰、後二号春日山」とあり、直江津にあった越後府中を守る
詰めの城として「鉢峰」(蜂ヶ峰山)に築かれた要害と考えられている。





また、春日神社の社伝は貞治年間(1362~1367年)、『頚城郡誌稿』では長禄年間(1457~1461年)となっているが、推測の域をでない。

上杉謙信・景勝による整備・拡充

永正年間(1504~21年)の頃に、守護代長尾為景が本格的な山城として拡充し、その跡を継いだ長尾景虎(のちの上杉謙信)も整備し拡充することを命じている。その概要は次のとおりである。
 1560(永禄3)年8月、景虎の関東出陣に際して留守居5人の部将に「春日山要害」の普請を命じる。
 1560(永禄3)年8月、武田信玄が越後に乱入したとの報告を受けて「春日山城」の普請と死守を命じる。
 1564(永禄7)年8月、蔵田五郎左衛門に「大門・大手門」の普請を命じる。
 1570(元亀元)年3月、北条三郎(北条氏康の7男)を養子(上杉景虎に改名)にし、その館を「二之郭」に造営する。
 1573(天正元)年5月、「実城」・「二之郭」・「三之郭」の掘普請を命じる。
 1578(天正6)年、上杉謙信が没すると、景虎と上杉景勝(謙信の甥)との間で相続をめぐって御館の乱が起こり、2年後の 1580(天正8)年に景勝の勝利で終わった。

この争いの中で、景勝が本拠とした「春日山城」の城下である春日町・中屋敷は焼かれ、「春日山城」自体もかなり破損した。
『上杉年譜』『景勝一代略記』などには「城中随一の人々堤表へ打出」や「大手の千貫門」といった
戦いや城郭の施設に関する記述がみられるが、詳細は不明である。

景勝が上杉家当主となると、信濃(長野県)・越中(富山県)への出兵や新発田重家の反乱が起こる中で、1584(天正12)年4月に府中口の「大手之寄居」の普請が進言されている。
景勝が豊臣秀吉に臣従した後の1597(慶長2)年2月には、重臣直江景続が山田雅楽助に対して3月から「春日山御城御普請、」として留守居の将が百石につき5人の人夫を出して「所々御門橋以下破損之所」の修改築をおこなうよう指示しているが、これが上杉氏による最後の普請となった。

堀氏による整備と廃城

1598(慶長3)年、上杉景勝は豊臣秀吉の命で会津に転封させられ、その後は、堀秀治が越前(福井県)の北庄から45万石で「春日山城」に入城した。
堀氏は秀治・忠俊と2代にわたって在城し、櫓や堀や土塁などの普請をおこなっている。

『北越雑記』には「慶長四年巳亥年三月三階矢倉五御普請始、奉行堀太郎左衛門、……」という記述があり、1599(慶長4)年に三階建ての櫓の造営が始まったことが知られる。
この三階櫓は現在、「天守跡」と呼ばれる場所に建てられ、その後「福島城」の本丸三階櫓として、さらには「高田城」の本丸三階櫓として移築を繰りかえしたと考えらえている。
また、堀氏は麓部の堀や土塁などの普請をおこなったと考えられ、本城砦から正養寺山に至る約1,500mに及ぶ堀と土塁は「監物堀」・「監物土居」と呼ばれている。





堀氏は秀治の代の1599(慶長4)年から直江津の福島に築城をはじめ、子忠俊の代の1605(慶長10)年に「福島城」が完成して移ったため、その時点で「春日山城」は廃城となった。

まとめと課題

「春日山城」は室町・戦国時代の戦乱の中で、長尾氏・上杉氏の度重なる普請により、戦国時代屈指の大規模な山城に変貌していった。
また、上杉氏のあとの堀氏は、三階櫓の造営など近世城郭化を図ったが、「福島城」に移ったことで廃城となった。
ただし、築城時期についてはいくつかの説があり、文書類からは時期を特定することは難しい状況である。

また、現在も遺る「春日山城」の遺構は上杉謙信・景勝が整備・拡充したものに、さらに堀秀治・忠俊が手を加えている。
そのため、遺構を表面的に観察するだけでは、どこまでが上杉氏時代の施設なのかを断定することは難しいであろう。





そこで、文献資料や表面観察による成果を、発掘調査で発見される遺構や遺物と照合しながら、総合的に検討する必要があろう。
その検討材料として、次稿では「春日山城」の構造(縄張)と発掘調査の状況について整理していきたい。

(寄稿)勝武@相模

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