真田氏の名城「上田城」~築城経緯にみる真田昌幸の外交戦略~

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上田城」は上田盆地の北部に位置し、千曲川の分流である尼ヶ淵に面しており、「尼ヶ淵城」とも呼ばれた。1583(天正11)年に真田昌幸が築城し、1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いまで真田氏の本城として領国支配の中心であった。

この城には、1585(天正13)年に徳川軍約8000人が、また1600(慶長5)年の関ケ原の戦いの際には、徳川秀忠軍約3万人が攻め寄せるが、昌幸ら真田一族が撃退している。

それが、関ヶ原の戦いで西軍が敗れ、それに味方した昌幸・信繁(幸村)父子が九度山に配流となり、翌年に「上田城」は破却された。

その後、「上田城」は真田信之(昌幸の長男、東軍に味方)に与えられるが、城の復興をおこなったとする記録はない。城の復興は、信之転封後に上田藩主となった仙石忠政が1626(寛永3)年から幕府の許可を得て着手している。仙石氏は1706(宝永3)年まで、それ以降は松平氏で城主を務め明治維新を迎えた。




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「上田城」は1583(天正11)年に真田昌幸が築城に着手したが、築城に当たっては、上杉・北条・徳川という大勢力の中で、生き残りをかけた昌幸の強かな戦略があらわれている。
1582(天正10)年3月に武田氏が滅亡すると、信濃・甲斐・上野の旧武田領は織田信長が支配するところとなった。信長が同年6月に本能寺で没すると、徳川家康・北条氏政上杉景勝らが旧武田領を奪いあった。こうした中、昌幸は6月から7月にかけて、最初は景勝、次に氏政を頼りながらも、9月には家康に属することを決めた。
家康と結んだ昌幸は小県地方全域の完全支配を図り、10月に「禰津城」、翌1583(天正11)年閏正月には「丸子城」を攻めている。
真田と徳川の結びつきを知った上杉景勝は、更科・小県郡境の「虚空蔵山城」を修築し守りを固めるが、昌幸は同年3月にこの城を攻め破っている。

こうした状況下で、昌幸は家康の許しを得て「上田城」の築城に着手したのである。家康にとっても上杉氏と対峙する上で、上田への築城は重要であったと考えられる。この時期については諸説あり、『上杉年譜』にある上杉景勝が家臣嶋津左京亮に宛てた天正11年4月13日付書状には、「海津よりの注進の如くんば、真田、海士淵取り立つるの由に候の条、追払ふべきの由、何れへも申し遣はし候。‥‥」とある。

その内容は、「海津城」から真田氏による「海士淵」(「上田城」)築城の様子が報告されてことに対して、景勝が返事したものであり、「上田城」築城が1583(天正11)年3月から4月ごろにかけ始まったことを示している。

一方、『信濃国小県郡年表』(上野尚志 1979 上小郷土研究会)では、「里伝云。八月二十四日鍬始め、昌幸親ら鋤を取る。諸士之に従う。其材木は坊山(房山)眉見林に採り(享保の頃までは斬株なお残り存せりと云)職工は多く筑摩郡深志より雇い、明年に至り成る。上田城と名づく。‥‥」とあり、1583(天正11)年8月に着工し、翌1584(天正12)年に完成としている。

この時期の築城がどの程度のものであったかは不明であるが、1585(天正13)年7月、昌幸は上杉氏と和解し、同年8月にはせ徳川勢と攻城戦をおこなっていることから、土塁や堀などの防御施設は十分に整備されていたものと考えられる。




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1583(天正11)年以降、真田氏の本城となった「上田城」は、真田昌幸が徳川家康に属したことで、家康の許可を得て築城工事が始まった。その後、昌幸が家康を裏切り、上杉景勝に属したことで、完成直後の「上田城」に徳川勢が攻め寄せ、昌幸ら真田一族が守るという数奇な役割を演じた。

そこには、上杉・北条・徳川という大勢力に囲まれた、地方の小勢力の真田氏が生き残りをかけた外交戦略をみることができる。

 

(寄稿)勝武@相模

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