二度にわたり徳川の大軍を撃退した「上田城」は、1583(天正11)年に真田昌幸が築城し、1600(慶長5)年の関ヶ原の戦い後に堀が埋められ、塀が壊されるなど徹底的に破却された。
現在の「上田城」は、1622(元和8)年8月に真田信之(昌幸長男、信幸から改名)が松代に転封された後、小諸から「上田城」の主となった仙石忠政が改修したものなのである。
真田氏時代の「上田城」について、本丸・二の丸などの規模や位置、建造物などを明確に示す文書や絵図などは見つかっていない。
天守も仙石氏時代の文献や絵図などにみられず、築城当初から存在しなかったという説もある。
こうした文献資料上の制約がある中、発掘調査によって発見された金箔瓦をはじめとする多くの瓦から、真田氏時代の「上田城」の姿を推定することができる。
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金箔瓦はこれまで、数度の発掘調査によって5点が発見されている。
古くは1927(昭和2)年10月の市営野球場新設工事のときに、表面に金箔を貼った鬼瓦と「鳥衾(とりぶすま)」の破片が2点出土した。
後者は、棟の隅に突き出す長くそった瓦で三巴(みつどもえ)文様をもつ。
その瓦当(がとう)面に金箔が残されている。
1990・91(平成2・3)年度の調査では本丸堀底から、金箔を押した鯱瓦片が2点、2018(平成30)年3月の本丸土塁の範囲を確認する調査では本丸南側の「尼ケ淵(あまがふち)」に面しした場所から、金箔を貼った鬼瓦片が1点発見されている※。
金箔瓦は、安土城や大坂城・聚楽第・伏見城など、織田信長・豊臣秀吉の時期の城である「織豊系城郭」を象徴するものである。
「上田城」の周辺では「沼田城」・「小諸城」・「松本城」で金箔瓦の使用がみられる。
「上田城」からは金箔瓦以外にも、秀吉の時期に使われた特有の瓦が多数出土している。
例えば、1990・1991(平成2・3)年度の本丸堀底の調査において、堀の南西部を中心に出土した菊花紋軒丸瓦(きっかもんのきまるがわら)や均正唐草紋軒平瓦(きんせいからくさもんのきひらがわら)、五七桐紋鬼瓦(ごしちきりもんおにがわら)などである。
それらのうち、菊花紋軒丸瓦と均正唐草紋軒平瓦は「伏見城」跡からも類似する瓦が発見されている。
また、五七桐紋鬼瓦は、秀吉が使用した家紋である「太閤桐」の特徴をもつ瓦である。
真田氏以後の仙石氏、松平氏は使用しておらず、真田氏が秀吉に臣従していた時に使われた瓦と考えられる。
「上田城」から出土した金箔瓦や伏見城で使われた瓦は、「上田城」が「織豊系城郭」としてふさわしい規模の建造物があったことを示している。
金箔瓦について、秀吉は豊臣一門や親族の居城のほか、臣従した大名のうち16の居城にその使用を認めている。
その16の城は、京都から九州に至る主要街道沿いの城であり、関東の徳川家康の領国を囲む主要な城である。
「上田城」は「沼田城」や「小諸城」、「松本城」などとともに、この原則に当てはまる。
真田氏時代の「上田城」には、金箔瓦を屋根に載せるにふさわしい天守などの主要な建物が建てられていた可能性はきわめて大きい。
また、真田昌幸・信幸・信繁(幸村)は、1594(文禄3)年12月から伏見城の築城に動員されている。
伏見城は、秀吉政権の京都における政庁で、天守をはじめ主要な建物に金箔瓦を使った豪華・絢爛な「織豊系城郭」である。
その築城工事に関わった真田父子は、その影響を受けたのか、あるいは秀吉から許されたのか、伏見城で使われた菊花文軒丸瓦を「上田城」で使用しているのである。
これらのことから、真田氏時代の「上田城」は石垣・瓦葺き建物・天守を特徴とする安土城や大坂城と同様の「織豊系城郭」であったことが分かる。
また、金箔瓦や秀吉と関係が深い瓦の使用が認められていることから、秀吉が家康に対しておこなった城郭政策の一端を担う重要な城であったと考えられる。
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「上田城」は、昌幸が家康の許可を得て築城を開始、昌幸と家康の対立を経て、秀吉の城郭政策を担う重要な城となった。
そして、関ヶ原の戦い後に家康の命により徹底的に破却され、その後復興されたという数奇な歴史をもつ。
こうした「上田城」の歴史を詳しく知る上で、真田氏時代の「上田城」の姿を解明することはきわめて重要である。
今後の発掘調査の進展に期待したい。
※「上田城」から出土の金箔瓦の写真は「上田市立博物館」のホームページ内「収蔵品紹介 上田藩・上田藩主」のページでみることができる。
(寄稿)勝武@相模
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