真田幸村(真田信繁)に関する、ゆかりの地を一覧表にしてみました。
みどころ・ポイント、アクセスや場所・行き方など詳しい情報・地図や駐車場情報などはリンク先にてご紹介致しております。
ご訪問なさる際の参考になさって頂けますと幸いです。
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上田周辺
上田の最大のみどころです。この上田城は本当に奥が深い城で、みれば見るほど好きになりますね。
真田昌幸のスゴさが良く分かります。
上田城の観光所要時間は30分~60分といったところです。
関ヶ原戦いのあと、真田信之が築いた館の地にある表門があります。
現在の上田高校の東側です。
真田信之の正室・小松姫(本多忠勝の娘)の墓が、上田城からほど近い芳泉寺にあります。
急峻な戸石城にも是非登ってみてください。
頂上からは上田が一望できます。
戸石城に登ったら、すぐ隣の本城・枡形城も合わせどうぞ。
戸石城を含めて約90分の所要時間です。
真田信綱と真田昌輝の墓があります。
観光所要時間は約15分です。
無料駐車場とトイレ完備。
古い時代の真田一族の墓とされる日向畑遺跡や松尾古城がある地点で、真田の里では最北部となります。
詳しくは上記のリンク先をご覧願います。
真田家の菩提寺で、真田幸隆と真田昌幸の墓があります。
観光所要時間は約10分です。
無料駐車場、トイレ完備ですが、急な坂の上ですので、自転車だと電動付がお勧めです。
真田昌幸が上田城を築くまで、真田の里全体を見下ろせる城として機能していたようです。
車で本格近くまで登れますので、観光でも訪れやすい大変便利な山城です。
観光所要時間は15分位になります。
真田氏歴史館と真田氏館跡は隣接していますので、両方見学が可能です。
観光所要時間は両方で30分といったところでしょうか?
無料駐車場、トイレ完備で、真田氏歴史館では真田家関連のお土産販売もあります。
室賀正武の居城だった原畑城(室賀城)も、上田からちょっと離れたところにあります。
真田幸村の長女・すへが嫁いだのが、中山道の長久保宿の名主・石合家となります。
参考までに真田の里の支城群も。
真田幸村とは直接関係ありませんが、兄・真田信之が移封となり、幕末まで真田家が存続した地でもあります。
上田からは結構離れています。
真田幸村の母・山手殿の菩提寺がありますので、その意味では関係ありますね。
真田氏の家紋が入った須坂市の米子不動尊さんです。
山梨県
真田幸村が子供の頃、武田信玄の人質として生活した場所は甲府でした。
真田昌幸や真田幸村らが仕えた武田勝頼の終焉の地です。
群馬県
真田幸隆・真田昌幸の居城となった岩櫃城は、まさに真田家の真髄を伺う事ができます。
関ヶ原の戦いの直前、真田幸村は父・真田昌幸と共に、沼田城に赴いた際の、小松姫の逸話は有名ですね。
小松姫の墓があります。上記ページの下部の方にてご紹介しています。
真田昌幸はここを拠点として沼田城を攻略しました。
真田幸隆は、武田信玄に圧迫された際に、真田の里から、箕輪城主・長野業盛の世話になっていた時期がありました。
東京都・埼玉県・栃木県
小田原攻めの際、真田昌幸は北国軍に加わり、真田信之や真田幸村も出陣し、八王子城を攻撃しました。
石田三成が忍城を水攻めした際に、真田幸村らは忍城にも参陣しています。
小松姫(稲姫)が倒れた地にある墓です。
犬伏の別れ~真田家の生き残りをかけた決別の地「犬伏」と「小山評定跡」
犬伏の別れと小山評定跡です。
鹿児島県南九州市
真田幸村は大坂の陣では討死しておらず、薩摩に逃れたとする説があります。
実際に、伝・真田幸村の墓があります。
鹿児島に落ち延びた真田幸村と豊臣秀頼伝説を追ってイザ現地調査
宮城県白石市
遠く離れた白石にも、真田幸村関連の史跡が残されています。
秋田県大館市
大館には真田幸村と真田大助が、薩摩から更に逃れて、生涯を全うしたと言う伝承があり、真田幸村本人の墓とされる墓石が一心院の墓所にあります。
大分県
関西方面
大阪・和歌山の真田幸村ゆかりの地は下記にまとめてあります。
・大阪の真田丸関連史跡めぐりの歩き方に役立つ観光スポット一覧リスト
・真田幸村についてはこちら
・大河ドラマ「真田丸」展~NHK渋谷のスタジオパーク企画展
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