武田氏の本拠「躑躅ヶ崎館」の特徴~現状観察から探る~
躑躅ヶ崎館山梨県甲府市に所在する躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)は、1519年(永正16年)の築城から1581年(天正9年)年に新府城に移転するまでの約60年間、武田信虎・武田信玄・武田勝頼の3代の居館となり、領国経営の中心であった。武田氏...
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躑躅ヶ崎館山梨県甲府市に所在する躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)は、1519年(永正16年)の築城から1581年(天正9年)年に新府城に移転するまでの約60年間、武田信虎・武田信玄・武田勝頼の3代の居館となり、領国経営の中心であった。武田氏...
躑躅ヶ崎館の概要真田信綱(幸隆)・信綱父子の屋敷があった躑躅ヶ崎(つつじがさき)館(山梨県甲府市)は、戦国時代に甲斐国(山梨県)の守護・武田氏の本拠地として築かれた。躑躅ヶ崎館は県中部の甲府盆地の北端、南流する相川の扇状地上に位置する。東側...
山中城の概要山中城は1568年(永禄11年)頃に、後北条氏により相模(現神奈川県)と駿府・伊豆(現静岡県)国境をめぐる緊張の中で、東海道の抑えとして、あるいは駿河方面へ出陣する際の基地として築城された。その後、防衛力強化のために増築を重ね、...
山中城とは「日本百名城」に選定されている山中城(静岡県三島市)は、戦国時代末期の天文年間から永禄年間(1530年~1560年頃)に関東の覇者・後北条氏によって築城された。箱根外輪山の西側の中腹、東海道沿いの標高580mの尾根上の東西500m...
はじめに真田信繁(真田幸村)の遺児である阿梅や真田大八(片倉守信)が過ごした白石城は、明治維新を機に廃城となった。現在は1992年(平成4年)からの復元工事により、天守の代わりをつとめた三階櫓などが復元されている。築城から廃城まで主なものだ...
真田信繁(真田幸村)の遺児である阿梅とその弟・真田大八(片倉守信)の墓が宮城県白石市の「功徳山当信寺」にある。1615(慶長20)年の大坂夏の陣において真田信繁(幸村)が討死した後、阿梅は伊達政宗の重臣である片倉重長の継室となり、真田大八は...
はじめに1600(慶長5)年10月、関ヶ原の戦いで敗北した西軍に与した真田昌幸・信繁(幸村)父子は九度山(くどやま)に配流となった。高野山・「蓮華定院」に身を寄せて間もなく、その年の冬に庵を九度山に移した。九度山での配流生活は、家臣16名を...
はじめに真田一族の主な城郭には、室町時代からの「真田本城」・「松尾古城」(長野県上田市)、武田信玄の幕下となった真田幸隆が1551(天文20)年に攻略し本拠とした「戸石城」(長野県上田市)、1563(永禄6)年に攻略した新たな本拠とした「岩...
【「海津城」としての歴史】「松代城」は善光寺平の南東部、千曲川東岸の微高地に築かれた平城で、1560(永禄3)年頃に、武田信玄の命により「海津城」として築かれた。『甲陽軍艦』では、1553(天文22)年に清野屋敷を召し上げて、山本勘介の縄割...
真田幸隆・真田昌幸や真田信之・真田幸村と言った真田家にもゆかり深い吾妻の岩櫃城(いわびつじょう)。岩櫃城は、最初、鎌倉時代の吾妻太郎助亮が築城したと言う地元の伝承があるが、不明瞭な点が多く、築城年・築城主は不明と言った方が良いだろう。加沢記...