山中城の解説~小田原攻めにおいて半日で落城した後北条氏の城郭~

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山中城とは

「日本百名城」に選定されている山中城(静岡県三島市)は、戦国時代末期の天文年間から永禄年間(1530年~1560年頃)に関東の覇者・後北条氏によって築城された。
箱根外輪山の西側の中腹、東海道沿いの標高580mの尾根上の東西500m、南北1,000mの範囲に及ぶ大規模な中世城郭である。

山中城

山中城は1590年(天正18年)3月、豊臣秀吉による小田原攻めで落城した後は廃城となり使われることはなく遺構が良く残され、1934年(昭和9年)に国の史跡に指定されて以降、発掘調査に基づく整備が進み、史跡公園として公開されている。
現在、「障子堀」や「畝堀」と呼ばれる堀の中に土手状の畝を掘り残して区画した堀や土塁、尾根を区切る曲輪の造成法、架橋や土橋など、戦国末期の完成された中世城郭の構造を観察することができる。

築城から落城まで

山中城が築かれた伊豆地方北部は、武田・今川領と接しており、後北条氏の本城である「小田原城」にとって西方防御の要の地であった。
築城時期は定かでないが、1568年(永禄11年)の武田信玄による駿河侵攻をきっかけに、「深沢城」(静岡県御殿場市)とともに築城されたと考えられている。
1570年(永禄13年)に武田勢が韮山を攻めたときには、北条氏政が山中に布陣するなど(『甲陽軍鑑』)、駿河と伊豆の国境をめぐる争いの中で、山中城は築かれ境目の城としての役割を果たしていたのであろう。





その後、、豊臣秀吉が小田原攻めに着手した1589年(天正17年)には、山中城は韮山城、足柄とともに最前線の軍事拠点として重視され、同年末から大改修が行われた。
城地の拡大を図り、西南尾根の西の丸、西櫓などが築造されたが、最先端部の「岱崎出丸(だいさきでまる)」は未完のまま豊臣秀吉の大軍を迎えることとなった。

1590年(天正18年)3月29日の朝、豊臣秀吉・羽柴秀次らの6万7千余の大軍が押し寄せると、岱崎出丸から二ノ丸、三ノ丸に攻め込まれ、夕刻には本丸と奪われて、山中城はわずか半日で落城した。
圧倒的な大軍を前に、4千余の後北条勢は必死に防戦したが、城主松田康長以下、岱崎出丸で奮戦した間宮康俊など多くの武将が討ち死にした。
一方、豊臣方も西の丸を攻撃した一柳直末(いちやなぎなおすえ)が、鉄砲に撃たれて戦死するなど、犠牲者が少なからず出た。
現在、この攻防戦で戦死した武将たちは敵味方の区別なく、三ノ丸にある宗閑寺境内の墓に眠っている。

出土鉄砲玉と史料が語る攻防戦

山中城では、1973年(昭和48年)から発掘調査が継続的に行われており、これまで曲輪の周囲を巡る堀(「障子堀」・「畝堀」など)や土塁、木橋の跡や門柱跡などが確認されている。
また、鉄砲玉・石つぶて・兜の前立などの武器・武具類、陶磁器や古銭・キセルなどの日用品が出土しているが、特筆すべきは鉄砲玉である。
鉄砲玉は計197点が出土、うち150点は西ノ丸から出土しており、いずれも大きさや形は不揃いである。

鉄砲玉について、1590年(天正18年)3月29日、豊臣秀吉の6万7千余の大軍が山中城を攻撃した際、豊臣方の中村一氏の配下・渡辺勘兵衛が戦闘の経過を記録した『渡辺水庵覚書』の中に次のような記述がある。
・三月二九日敵出丸前面の3個の「つぶら」に配した二十~三十づつの鉄砲を打ちかける。
・出丸まで約一町、このとき北条丸出丸より鉄砲がつるべ打ちされ、ときの声があがる。
・出丸の土塁の幅は十間、勘兵衛へのつるべ打ちはつづく。
・三ノ丸木戸口にむけ前方と側面の二方から鉄砲を激しく打ってくる。
・敵の鉄砲筋にある三十間を駈けてきた者のうち、四人は鉄砲にあたり絶命した。
・わずか三間から五間で五十~六十発の弾丸が打ち掛けられる。
・両方の狭間からの煙りが薄れた。
・戌亥の大土塁の大杉のあたりから鉄砲が打たれる。





渡辺勘兵衛は出丸(岱崎出丸)の東側を北方に進み、三ノ丸を西方向に折れ、二ノ丸を経て西ノ丸まで達している。
その間、後北条氏方、豊臣方双方が鉄砲隊を配置し、激しい鉄砲の撃ち合いが行われたことが具体的にわかる。

山中城は、後北条氏の築城技術を駆使して造られた城であったが、豊臣秀吉らが率いる大軍によってわずか半日で落城した。
その原因については、豊臣方が6万7千余に対して後北条方が4千余であったことに加えて、
鉄砲数や扱いの優劣の差があったことも考えられる。
そのことは、山中城から出土した鉄砲玉や『渡辺水庵覚書』の記述が示している。





交通アクセス

JR三島駅南口から元箱根行きバスで約30分、山中城跡バス停で下車すぐ。
無料駐車場も完備されている。

(寄稿)勝武@相模

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