【教科書と城】小学校歴史教科書の「城」の扱いを探究する~3社の教科書の比較から~

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概要

2023年度(令和5年度)に小学校の歴史学習で使われる教科書は、教育出版『小学社会⑥』、東京書籍『新しい社会 6 歴史編』、日本文教出版『小学社会6年』の3冊が発行されている。
小学校歴史教科書の概要については、学習内容や方法を定めている小学校学習指導及び教科書制度を踏まえて、すでに以下のウエブサイトで整理している。

【教科書と城】小学校歴史教科書に登場する「城」の紹介~学習指導要領と教科書制度を踏まえて~

本稿では、小学校歴史教科書に取り上げられている城の本文やコラムでの記述内容、写真・イラスなどの扱いが、教科書によってどのように違うのかについて探究する。

3社の教科書すべてに登場する城

『教育出版』・『東京書籍』・『日本文教出版』の教科書すべてに登場する城は、吉野ヶ里遺跡(弥生時代)、鎌倉武士の館及び元寇防塁(鎌倉時代)、安土城(安土桃山時代)、江戸城(江戸時代)の5城である。
以下、それぞれの城についての説明や掲載されている写真、イラストなどを教科書ことに整理する。




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【吉野ヶ里遺跡】
『教育出版』の教科書(以下、『教育出版』と略す)には、単元「むらからくにへ」に「集落の周りにほりをめぐらした環濠集落も生まれました」という記述と2枚の写真がある。
写真「吉野ヶ里遺跡(佐賀県・2000年撮影)」(8.5×20cm:縦×横、以下同じ)は遺跡のほぼ全景を写したもので、「ほりやさくで囲まれたむらの様子が復元されています」という説明がある。
写真「むらを囲むさく(復元 吉野ヶ里遺跡)」(3.5×6.0cm)は手前に柵と入口、遠くに建物を写したものである。

『東京書籍』の教科書(以下、『東京書籍』と略す)には、単元「調べる むらからくにへ」に「佐賀県吉野ヶ里遺跡は、1~3世紀ごろの弥生時代後期の遺跡で、集落のまわりが、大きな二重の堀やさくで囲まれています」という記述と2枚の写真がある。
写真「復元された吉野ヶ里遺跡」(13×17.6cm)は遺跡全景を写したもので、写真「復元された大型建物」(5.0×6.0cm)には「約16mの高さで、祭殿として使われ、強い指導者がいたのではないかと考えられています」という説明がある。

『日本文教出版』の教科書(以下、『日本文教出版』と略す)には、単元「むらからくにへ」に「物見やぐらやむらのまわりを囲む深いほり,木のさくなどは,集落を守るために設けられたと考えられています」という記述がある。
写真とイラストもあり、写真「復元された吉野ヶ里遺跡のようす(佐賀県吉野ヶ里町)」(12.2×13cm)は遺跡の全景を写したもので、イラスト「争いのようす(想像図)」(12.8×20.3cm)は多くの侵入者から集落を防御する様子を描いたものである。

【鎌倉武士の館】
『教育出版』には、単元「武士が現れる」に「都からはなれた農村に,周りをほりに囲まれた館があります。館の主人は,このあたりを自分の領地にしている武士です」という記述と、話し合いの場面での「戦いに備えている様子は,貴族の屋しきでは見られなかったよ」という子どもの発言がある。
写真はなく、見開き2ページの3分の2以上を占めるイラスト「武士の館(想像図)」(15×31cm)には堀や土塁、柵、母屋などの建物のほか、周辺の田畠(でんばく)、山などが描かれている。

『東京書籍』には、単元「武士の登場と武士のくらし」に「武士は,自分の領地を見わたせる場所にやかたを建てて住んでいたそうです」という子ども発言がある。
1ページ全体を占めるイラスト「武士のやかたの様子(想像図)」(22×20cm)には「まわりは,堀と垣根で囲まれ,門の上には物見やぐらがありました」という説明がある。

『日本文教出版』には、単元「武士の登場」に「武士のやしきは,どんなようすなのだろう」という問いに関連して、見開き2ページの3分の2以上を占めるイラスト「武士のやしきのようす(想像図)」(22×20cm)がある。
このイラストには堀や土塁、柵、母屋などの建物のほか、周辺の田畠(でんばく)、山などが描かれており、「武士は,ふだんは一族とともに自分の領地に住み,家来や農民にさしずして農業を営み,税(ねんぐ)をとっていました。また,戦いにそなえて,日ごろから武芸にはげんでいました」という説明もある。
また、単元「武士のくらし」の武士と貴族の違いについて話し合う場面で、「武士のやしきの門には,弓を持った見張りがいるね。門の形もずいぶんとちがうよ」という発言があり、やぐら門のイラスト(2.3×3.6cm)も掲載されている。

【元寇防塁】
『教育出版』には、単元「元との戦い」に写真「博多湾(福岡県)の防塁」(3.5×6.0cm)がある。
これは、小学生が石塁を調査している写真で、「幕府が元軍の攻撃に備えて、御家人たちに命じてつくらせた石垣です」という説明がある。
また、地図「元軍の進路」(5.1×5.0cm)には防塁や土塁を築いた場所が示されている。

『東京書籍』には、単元「調べる 元の大軍がせめてくる」に写真「防塁(復元,福岡市)」(3.8×6.6cm)があり、「博多湾には,元寇のとき守りを固めるために,写真のような防塁が築かれました」という説明がある。
また、地図「元軍の進路」(5.1×5.0cm)には石塁と土塁の場所が示されている。

『日本文教出版』には、単元「元との戦いのあと」に「元軍との戦いの場となった九州北部には,幕府が守りを固めるために築かせた石るいの一部が残っていたり,」という記述と写真、地図がある。
写真「今も一部が残る博多湾沿岸の石るい(復元)(福岡市)」(6.1×10.5cm)には「元軍の2度目の来しゅうに備えて,北条時宗がつくらせたものです」という説明があり、地図「石るいの位置」(5.2×8.9cm)には博多湾沿岸の石塁・土塁の位置を示されている。

【安土城】
『教育出版』には、単元「全国統一を目ざした織田信長」に「信長は,交通の要所である近江(滋賀県)の安土に城を築いて全国統治のための拠点とし,新しい考え方を採り入れた政治を進めていきました。安土城の城下町では,商人たちがだれでも自由に営業することを認めました」という記述がある。
イラストも2枚あり、そのうち「安土城と城下町(想像図)」(26.5×20cm)は1ページ全体を占め、丘の上には5層の天守や御殿、三重塔など寺院の建物、斜面には家臣の屋敷、ふもとの城下町のにぎわいを描いている。
もう1枚の「上から見た安土城と城下町(想像図)」(11.8×20cm)は、安土城と城下町を俯瞰したもので、「信長は,安土山に城を,その周りに城下町をつくりました。信長は,山頂に建てた5層(内部は7階)の天守(城の中心となる建物)に住み,家臣たちは,その周囲やふもとの城下町に住みました。城下町には琵琶湖から水路が引かれ,船を使った人やものの行き来がさかんになり,商工業が発達しました」という説明がある。




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『東京書籍』には、単元「安土城と織田信長」に「長篠の戦いに勝った翌年には,京都に近い安土(滋賀県)に自らの力を示す大きな城を築き、城下町に家来を住まわせて天下統一に向けた拠点にしました」、「安土の城下町では,だれでも商売ができ(楽市・楽座),市場の税や関所をなくすなど、これまでのしくみを大きく改めて,商業や工業をさかんにしました」という記述がある。
写真、イラスト、地図もあり、写真「安土城(滋賀県 安土城資料館復元模型:内藤昌復元🄫)」(12.8×20.3cm)には「五層七階の日本初の本格的な天守です。1579年に完成し,1582年の本能寺の変後に焼失しました。この復元模型は,1969年に新たに発見された資料をもとにつくられました」という説明がある。
イラスト「安土城の城下町(想像図)」(12.8×20.3cm)には「信長は,安土の城下町に家来を住まわせて戦いに備えました。また,商人を集め,安土につながる道路を整備し,琵琶湖とつながる水路をつくりました」、また、地図「安土城の位置」(12.8×20.3cm)には「安土は,京都に近く,陸路と水路の両方を便利に使うことができました」という説明がある。

『日本文教出版』には、単元「新しい時代を切りひらいた織田信長」に「信長は,京都に近く,琵琶湖のほとりにあって水運などの交通が便利な安土(滋賀県)に安土城をきずき,天下統一のための根拠地にしました。信長は,安土に自分の家来を集めたほか,商人や職人はだれでも自由に商工業ができるようにしたので,安土は城下町として栄えました」という記述がある。
写真も2枚あり、写真「安土城あとから出土したかわら」(3.0×4.6cm)は金箔(きんぱく)を施した巴文軒丸(ともえもんのきまる)瓦の写真で、写真「安土のようす(想像図)」(12.8×20.3cm)は天守と城下町のようすが描かれている。

【江戸城】
『教育出版』には、単元「江戸幕府を開いた徳川家康」に「家康は,政治の中心にふさわしい城や城下町を江戸につくるための大規模な工事に着手しました」という記述がある。
写真と地図もあり、写真「江戸城とそのまわりの様子(「江戸図屏風」)」(20×11.8cm)には「3代将軍徳川家光のころの江戸城をえがいたものです。江戸城は,将軍とその家族の住まいであるとともに,江戸幕府の政治が行われる中心地でもありました」という説明がある。
また、地図「江戸のまちの広がり」(11.2×20.3cm)は17世紀の江戸の町を模したもので、「江戸城やその城下町は,台地をけずって海岸をうめ立てたり,運河や道をつくったりする大工事によってつくられました。全国の大名は,そのために必要な賃金や人手を,分担して負担するように命じられました」と、江戸城と城下町の建設は、全国の大名が分担した天下普請(てんかぶしん)によるものであったことが説明されている。

『東京書籍』には、単元「将軍による支配の安定」に「家光は家康が築いた江戸城を大はばに改修し,全国を支配する拠点として整えました」との記述がある。
「江戸城とそのまわりの様子(江戸図屏風)」(10×20cm)と題した写真もあり、それには「江戸城の広さは,東西約6km,南北約4kmになりました。城のまわりをごうかな大名やしきを取り囲んでいました」という説明がある。

『日本文教出版』には、単元「江戸に幕府を開いた徳川家康」の本文に「家康は,政治の中心地としての江戸のまちづくりを進めるいっぽうで,江戸城を広げる工事にも取りかかり,全国の大名に手伝わせました」という記述がある。
写真と地図もあり、江戸図屛風の一部分である写真「江戸城」(9.7×16cm)には「全国の大名に工事に必要な人手や賃金を分担させ,家康の孫の家光のときに完成しました」という説明がある。
地図「江戸のまちの広がり」(7.1×8.3cm)にも「江戸城を中心に武士のやしきが多く見られました。その外側に町人のまちがつくられました」という説明がある。
また、単元「江戸のまちのようす」は17世紀前半の江戸の町を描いた「江戸図屏風」を見て、気づいたことや疑問に思ったことを話し合う内容である。
「江戸図屏風」の部分的な写真「江戸のまちのようす」(16×40cm)・「和田倉橋周辺のようす」(9.1×9.4cm)・「江戸城大手門周辺のようす」(9.1×9.4cm)・「日本橋周辺のようす」(13.5×19cm)がある。

2社の教科書に共通して登場する城

『教育出版』・『東京書籍』には大阪城(安土桃山時代)が、『東京書籍』・『日本文教出版』には世界文化遺産の首里城が取り上げられている。
以下、それぞれの城についての説明や掲載されている写真、イラストなどを教科書ことに整理する。

【大阪城】
『教育出版』には、単元「全国を統一した豊臣秀吉」に「大阪城を築いて政治の拠点とし,信長の政治を引きついで,支配力を強めていきました」との記述と、天守を中心に写した写真「大阪城」(10×6.5cm)がある。

『東京書籍』には、単元「大阪城と豊臣秀吉」に「秀吉は,大阪に城を築いて政治の拠点とし,大阪を中心とした物資の流れをつくったり,」という記述と写真がある。
写真「現在の大阪城(大阪市)」(4.7×5.8cm)には「秀吉が築いた当時の大阪城は金ぱくのかわらを使ったごうかな天守閣があり,秀吉の権力を見せつけました」という説明がある。

【首里城】
『東京書籍』には、単元「ひろげる 江戸時代の琉球と蝦夷地~沖縄県・北海道~」に写真「復元された首里城」(3.3×6.2cm)がある。
その写真には「琉球国王の拠点であり,すぐ近くの那覇港で貿易が行われました。貿易は,国王が管理した国営事業でした」という説明がある。

『日本文教出版』には、単元「江戸時代の外国との交流」に写真「首里城(沖縄県那覇市)」(2.9×3.8cm)があり、どこには「琉球王国の城を復元したものです」という説明もある。

1社の教科書のみに登場する城

これまで3社または2社の教科書に登場する城について紹介したが、この項では、1社のみに登場する城の説明や写真、イラストなどについて整理する。




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『教育出版』には、熊本城・鞠智(きくち)城・五稜郭の3城が取り上げられている。
熊本城は、コラム「人々の暮らしとともにある文化財」に説明と写真3枚がある。
説明内容は、熊本城は熊本市のシンボルで人々の心のよりどころであること、これまで何度も災害や戦争で建物や石垣に被害を受けたが、そのたびに修理・再建されたこと、2016年(平成26年)の大地震で被害を受けた建物や石垣の復旧工事には、全国から寄付金などの支援が寄せられていること、などである。
写真「人びとの暮らしとともにある熊本城(地震が発生する前)」(7.8×6.6cm)は、熊本城と路面電車、通勤・通学風景を、写真「地震が発生した直後」(5.5×4.0cm)は、天守・小天守の石垣の崩壊を、そして写真「進む復旧工事(2017年10月)」(3.3×6.2cm)には、天守等が囲われている風景を、写したものである。
鞠智城は、特集ページ「ひろげる 世界との関わりー東アジアと日本」の項目「九州の山城と朝鮮半島の情勢」に「熊本県山鹿市・菊池市には,7世紀後半に建てられたと考えられている鞠智城のあとが広がっています。この城は,大和朝廷が国の守りを固めるためにつくった山城で,九州に置かれていた役所である大宰府(福岡県)が束ねていた城の一つでした」という説明と写真がある。
写真「鞠智城の八角形の鼓楼(復元)」(4.3×3.7cm)には「八角形の建物はとてもめずらしく,同じ時期につくられた日本の山城ではみられませんが,韓国の山城では同じ形のものが確認されています」という説明がある。
五稜郭は、単元「江戸幕府がたおれる」に写真「五稜郭(北海道函館市)」(4.5×6.2cm)があり、「幕府によってつくられた西洋式の城郭です。新政府と旧幕府軍の戦いで,最後の戦場になりました」という説明がある。

『東京書籍』には、柳之御所遺跡・名護屋城・弘前城下町・姫路城が取り上げられている。
柳之御所遺跡は特集ページ「世界遺産を調べよう~平泉~」のコラム「柳之御所遺跡ー足もとからみえる平泉ー」に説明と写真がある。
説明内容は、発掘調査や保存活動が進んで、柳之御所史跡公園として調査や整備が継続されていること、建物や堀、池、井戸などの跡、京都や中国との交流を示す土器や陶磁器から、平泉は京都や博多と並ぶ文化都市であったこと、調理具・飲食具・文具・遊具が発見されていること、などである。
写真は「空から見た柳之御所遺跡」(4.6×8.4cm)、「北上川に面した台地の上に位置し,約10ヘクタールの広さがあります」「柳之御所のコンピュータ・グラフィック(CG)」(4.6×8.4cm)「これまでの発掘調査の研究成果をもとにつくられました」のほか、出土遺物である「かわらけ」・「カエルの板」・「中国産の白磁」の写真がある。

名護屋城は、単元「大阪城と豊臣秀吉」の「秀吉は,海外にも目を向け,中国(明)を征服しようと,2度にわたって朝鮮に大軍を送りました」という記述に関連した写真「名護屋城(肥前名護屋城図屏風)」(5.7×7.3cm)がある。
写真には「現在の佐賀県にあった名護屋城は,朝鮮に大軍を送るための拠点として,秀吉が約5か月でつくらせたといわれています」という説明がある。

弘前城下町は、単元「人びとのくらしと身分」の「江戸をはじめ,全国につくられた城下町では,大名やその家来が住む武家地,寺や神社の地域,町人地など,身分によって住む場所が決められました」という記述に関連した地図がある。
その地図「城下町のなごり(青森県弘前市)」(7.1×7.6cm)は、現在の弘前市街の地図に18世紀中ごろの武家地と町人地を、色分けして示したものである。

姫路城は、特集ページ「日本の世界文化遺産」に写真「姫路城」(3.3×4.0cm)があり、「白い壁で統一され,しらさぎが羽を広げたように見えることから『白鷺城』とよばれています」という説明がある。
また、裏表紙にも天守閣を中心に写した「姫路城」(5.4×7.6cm)の写真がある。

『日本文教出版』には、中世山城が単元「安土桃山時代の人々のくらし」において、イラスト「今から約500年前の市のようす(想像図)」(16×40.6cm)がある。
この想像図を見ながら話し合う場面で「山の方には,館のようなものが見えるね。まわりには,武士のような人がたくさんいるよ。何をしているのだろう」という子どもの発言がある。

小学校歴史教科書における城の扱い

2023年(令和5年)7月現在、小学校の歴史学習で使われている『教育出版』・『東京書籍』・『日本文教出版』の3社の教科書に登場する城について整理した。
いずれの城もわかりやすい説明とともに、写真やイラスト、地図などで視覚にも訴えることで、子どもたちが城についての理解を深め、城をもとに人物や時代背景を主体的に考えることができるように工夫されている。

3社の教科書に共通して登場する城については、教科書によって説明の内容や、取り上げられている写真やイラスに違いがみられるものがある。
例えば、安土城については、『東京書籍』が城下町での自由な営業に関連して「楽市・楽座」という用語を強調して使っている。
安土城に関する写真についても、『東京書籍』には、5層7階の天守閣の復元模型が、『日本文教出版』には、金箔瓦(巴文軒丸瓦)が掲載されているなどの違いがある。
江戸城やその城下町については、いずれの教科書も、全国の大名が分担した天下普請で建設されたことを説明している。
一方、『東京書籍』のみは、単元名に徳川家康の名前はなく、説明においても徳川家光が改修した、と記述されている。
また、『日本文教出版』には、2つの単元で「江戸図屏風」の写真を豊富に掲載し、子どもたちが話し合う際の資料としている。

大阪城については、大阪に本社がある『日本文教出版』は取り上げておらず、『東京書籍』には、写真の説明の中で金箔瓦を使った豪華な天守閣である、と権力を誇示するための城、いわゆる「織豊系城郭」であることを示唆している。
また、学習指導要領及び解説で活用することとされている国宝、世界文化遺産の城は、首里城が『東京書籍』と『日本文教出版』で、姫路城が『東京書籍』で取り上げられているが、その扱いは小さい。

次に、1社の教科書のみに取り上げられている城の扱いについては、教科書ごとに特徴がみられる。
例えば、『教育出版』の熊本城は、文化財の整備・保存、鞠智城は朝鮮半島との関連をそれぞれ重視し、『東京書籍』の柳之御所遺跡は、発掘調査の成果を踏まえた整備・保存の重要性を意識したものと考えられる。

なお、『教育出版』・『東京書籍』・『日本文教出版』の3社の教科書はいずれも2024年度(令和6年度)に改訂されることとなっている。
今後、より多くの城が教科書に取り上げられ、子どもたちに城の魅力をより一層伝えることができるような工夫がなされることを期待したい。




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<主な参考文献>
・池野範男、的場正美、安野 功、ほか『小学社会6年』令和2年2月 日本文教出版
・大石 学、小林宏己、ほか『小学社会⑥』令和2年1月 教育出版
・北 俊夫、小原友行、ほか『新しい社会 6 歴史編』令和2年2月 東京書籍
『小学校学習指導要領(平成 29 年告示)』平成29年3月 告示 文部科学省
『小学校学習指導要領(平成 29 年告示)解説 社会編』平成29年7月 文部科学省
「社会-令和2年 教科書特設サイト-教育出版」
「新しい社会|2年度用 小学校教科書のご紹介|東京書籍」
「教科書|小学校 社会|日本文教出版」

(寄稿)勝武@相模

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