真田左衛門佐幸村之墓 秋田・大舘にある真田幸村伝説

真田左衛門佐幸村之墓

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出羽・大館城の城下町になる秋田県大館市には、真田幸村の墓(真田信繁の墓)と伝わる墓石があります。
ずっと宿題(課題)として残っておりましたが、ようやく秋田・大舘にある伝・真田幸村の墓をお参りさせて頂きました。

秋田にある真田幸村の墓は、大館の「一心院」(秋田県大館市谷地町)の墓地にあります。
特に、案内板があるわけでは無い、お寺の檀家さんなどのたくさんあるお墓(墓所)の一角にあります。
場所が非常にわかりにくく、本降りの雨が降り、夕方で暗くなってくる中、お墓の中を右往左往してしまいました。



真田幸村が背負っていたとされる、張り子の地蔵尊が祀られた「地蔵堂」も墓所にあるのですが、撮影を失念するくらい、さまよいました。
先にどこにあったのか記載致します。
一心院さんの墓所には「桜の木」が何本か、均等間隔にて植えられています。
その墓所にある、だいたい、真ん中(墓所の中心)にある桜の木の麓に「真田左衛門佐幸村之墓」がありました。
見つけるのに、幽霊のように墓所をさまよう事20分、墓荒らしでは?など、とても怪しい人物に見られたと思いますが、ほんと苦労しました。

 真田左衛門佐幸村之墓

サクラの木の近くと、上記写真にもありますとおり「竹」にて墓が囲まれているのが、目印になります。
墓所のほんとうに真ん中あたりにある桜の下、樹木からは北寄りです。
あくまでも個人のお墓であり、史跡ではありませんので、マナーあるお参りは、お願いしたいところです。

なお、お参りする限り、確かにボロボロの墓石は、江戸初期の頃のものとも見て取れます。
色々とたくさんの武将のお墓参りしていると、なんとなく、墓石が置かれた年代がわかってくるようになります。
ただ、名が入っている墓石は、古いと考えても、江戸後期か明治のような印象を受けますので、ご子孫がのちに建て直したのかも知れません。
もちろん、あくまでも個人的な感想です。



それにして、なぜ、東北の大館に、真田幸村の墓があるのでしょう?

白石城から近い真田幸村の墓は、伊達家の家臣・田村定広が、真田幸村の娘とされる阿菖蒲(あしょうぶ)を妻に迎えたため、供養にと建立した供養碑です。
しかし、大館の真田幸村の墓は、本人のものと言う伝承があるそうです。

なんでも、一度、島津家を頼って薩摩に落ちのびた真田幸村でしたが、そのあと、さらに秋田に移り住んだと言う事になっています。
確かに、薩摩に逃れたと言う話は、鹿児島で見参できます。

鹿児島に落ち延びた真田幸村と豊臣秀頼伝説を追ってイザ現地調査

しかし、島津家が徳川幕府に恭順する姿勢を変えなかったことから、真田幸村は、身の危険を感じて脱出すると、巡礼者を装って各地を放浪したと言います。
そして、真田幸村の側室・豊臣秀次の娘が産んだとされる、5女・御田姫(御田の方)の嫁ぎ先であった、出羽・亀田藩に庇護されたともされます。
ただし、大館は、由利の亀田藩の所領ではなく、江戸時代には久保田城の佐竹氏の所領です。

これは、真田幸村の娘とされる御田姫(御田の方)が、1627年頃に側室になった相手・岩城宣隆は、佐竹義重の4男・多賀谷宣家であり、佐竹一族であったと言う事になります。

出羽・大館城は、一国一城令でも特別に城の破却は行われなかった重要拠点であり、佐竹氏一門の佐竹西家である小場義易が大舘領主でした。
真田幸村が本当に生き残っていたのであれば、佐竹氏の本拠である秋田の久保田城下ではなく、もっと北にあり幕府からの目も届きにくい、大館にて匿ったのは一理あるような気が致します。

ともあれ、真田幸村は大館に安住の地を与えられて「信濃屋長左衛門」と名を変え、長寿を全うしたと言うのが、大館にて伝わる話のようです。
なんでも、農耕の傍ら真田紐や酒造りを商いにして、生計を立てていたとされます。

一心院の墓には「信濃屋長左衛門事真田左衛門佐幸村之墓」との文字が刻まれています。
2つあるうちのひとつは、真田の名を出さずに供養されているとの事です。

寛永18年(1641年)に75歳で没したと伝わりますが、嫡男・真田大助の墓もあるそうです。



なお、御田の方は、江戸にて1635年に亡くなりましたが、出羽・亀田城下の妙慶寺(由利本荘市)に自らのも墓もあり、また真田一族の供養塔も建てたとされます。

さて、 真田左衛門佐幸村之墓がある一心院さんの場所は、当方のオリジナル東北地図にてわかるようにしてあります。
出羽・大舘城とセットでどうぞ。

真偽のほどは、もはや確かめるすべはありませんが、このような歴史的なロマンがあるのは、本当におもしろいですね。
ご共感頂ける場合には、よければ、下記のコメント欄にでもお寄せ願えますと幸いです。

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