真田昌幸と真田幸村が九度山で蟄居していた際に、作って売ったと言われてる「真田紐」とは、そもそも、どうゆうものだったのだろうか?
調べてみた。
まず、九度山では真田家の家族や家臣らも制作して、堺の商人を通じて販売し、得た収入を生活費の足しにしていたと言われている。
「真田の作った強い紐」と言う触れ込みで行商人が売り歩き、その各地の情報が九度山にもたらされたとされる。
その、真田紐(さなだひも)と言う物は、縦糸と横糸を使って、機で織った平たく狭い織物の紐だと言う。
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【広告】茶道具などに使われる真田紐
上記のように、現在でも真田紐として流通している。そんなに高くもないので、侍の紐としては外国人へのお土産としても喜ばれるかもしれない。
昔から伸びにくくて丈夫だったので、重いものを吊したり、しっかりと物を縛る際に重宝したようだ。
戦国時代には真田家だけでなく、全国各地の武将が必需品として生産していたようなので、真田家だけが作っていたと言う訳ではなかった。
また、九度山の真田家が実際に作っていたと言うのは伝承であり、確証はない。
しかし、実際に、この頑丈な紐が流通した過程で、2度も徳川に勝利した真田家の評判もあいまって、そんな頑丈で反骨精神もある紐として「真田紐」と言うブランド名がついたものが売れれたと言う事なのだ。
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