【教科書と武将】歴史教科書における「徳川家康」の扱いを探究する~小学校・中学校の教科書の比較から~

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概要

2023年(令和5年)1月から放送中のNHK大河ドラマ『どうする家康』は、至るところで決断を迫られ、迷い苦しみながらも前に進んでいく徳川家康の姿を描いている。
優柔不断かつ心配性で、精神的に未熟な面をさらけ出すなど、これまでとは異なる徳川家康像に対して賛否が分かれている。
『どうする家康』をみた子どもたちが、小学校や中学校の歴史の授業で徳川家康のことを学習したときに、どのような印象をもつのか、気になるところである。

現在の義務教育においては小学校6学年及び中学校2・3学年で日本の歴史を本格的に学び、徳川家康についても学習する。
小学校・中学校の歴史学習で使われている教科書の内容は、研究者の間で定説となっている歴史事実を踏まえたものであり、大河ドラマの内容とはかなり異なる。




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現行の歴史教科書は小学校3種類、中学校8種類が発行されているが、そのうち、小学生の51.3%は東京書籍版『新しい社会 6 歴史編』、中学生の52.5%は東京書籍版『新しい社会 歴史』を使っている。
そこで、本稿では小学校歴史教科書『新しい社会 6 歴史編』(東京書籍)と、中学校歴史教科書『新しい社会 歴史』(東京書籍)において、徳川家康に関連する本文やコラムの記述、掲載されている写真などの比較・検討を通して、徳川家康がどのように扱われているのかを分析する。

小学校歴史教科書における徳川家康の扱い

小学校歴史教科書『新しい社会 6 歴史編』(東京書籍)は、大単元「江戸幕府と政治の安定」のうちの小単元「徳川家康と江戸幕府」及び「将軍による支配の安定」において徳川家康を扱っており、関連する記述のほか、コラムや写真も掲載している。
なお、単元とは「学習内容のまとまり」のことである。

まず、小単元「徳川家康と江戸幕府」の本文には、「徳川家康は,三河(愛知県)の小さな大名の子として生まれました。おさないころは,周辺の大名の人質となり,苦労を重ねましたが,成長すると勢力をのばし,戦いにすぐれた武将として知られるようになりました。豊臣秀吉の天下統一に協力し,関東の有力な大名となった家康は,秀吉の死後,多くの大名を味方につけて勢いを強め,天下分け目の戦いといわれた関ヶ原(岐阜県)の戦いで自分に反対する大名たちを破り,全国支配を確かなものにしました。1603年,家康は,朝廷から征夷大将軍に任じられ,江戸(東京)に幕府を開きました。家康は,幕府の主要な役職に古くからの家来をつけ,江戸幕府による支配体制を整えていきました。家康は,全国の大名を,徳川家の親せきの親藩,古くからの徳川家の家来の譜代,関ヶ原の戦い後に徳川家に従った外様に分け,その配置をくふうしました。1615年,家康は大阪の豊臣氏をほろぼすとともに,全国に一国一城令を出して,大名が住む城以外の城の破壊を命じました。こうして戦いのない安定した世の中がおとずれたのです」という記述がある。
また、「江戸幕府が力を強め政治を安定させたしくみ」について子ども同士が話し合う場面で、「家康大名の配置にどのようなくふうをしていたのかな」という発言も記述している。

コラムは「歌に見る3人の武将の天下統一」と題するもので、著名な「織田がつき 羽柴がこなし 天下もち すわりしままに 食ふは徳川」という歌を紹介しており、徳川家康については「天下を取るチャンスを最後までじっと待ち,250年以上続く江戸幕府を築いた家康」と説明している。




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写真は2枚あり、写真「関ヶ原の戦い(「関ヶ原合戦屏風」)」(9.0×20cm:縦×横、以下同じ)「1600年,豊臣氏に味方する石田三成を中心とする西軍と徳川家康を中心とした東軍に分かれて戦いました」との説明がある。
写真「徳川家康」(3.0×2.8cm)は「日光東照宮宝物館」(栃木県日光市)に所蔵されている老年期の束帯姿の肖像画の写真である。

次に、小単元「将軍による支配の安定」の本文にも「徳川家康と2代将軍の徳川秀忠は,武家諸法度というきまりを定め,全国の大名を取りしまりました」という記述がある。

中学校歴史教科書における徳川家康の扱い

中学校歴史教科書『新しい社会 歴史』(東京書籍)には、大単元「江戸幕府の成立と支配の仕組み」の小単元「江戸幕府の成立」に徳川家康に関する記述や写真がある。
本文での関連する記述は「豊臣秀吉の死後に政治的な力をのばしたのは,関東を領地とする徳川家康でした。1600年,豊臣氏の政権を守ろうとした石田三成は大名に呼びかけ,家康を討つために兵を挙げました。家康も三成に反発する大名を味方につけ,関ヶ原(岐阜県)で戦いました(関ヶ原の戦い)。これに勝利した家康は,全国支配の実権をにぎりました。1603年,家康は朝廷から征夷大将軍に任命され,江戸(東京都)に幕府を開きました。江戸幕府が全国を支配した時代を,江戸時代といいます。家康は,1614,15年の二度にわたる大阪の陣で豊臣氏をほろぼし,幕府の基礎を固めました」というものである。

写真は2枚あり、写真「徳川家康(1542~1616)」(3.4×2.8cm)は「日光東照宮宝物館」所蔵
の小学校歴史教科書『新しい社会 6 歴史編』(東京書籍)に掲載されているものと同じである。
この写真には「江戸幕府のいしずえを築く」という題が付けられ、「三河(愛知県)の戦国大名で,織田信長や豊臣秀吉と結んで力をつけました。秀吉からは,最も有力な大名として重んじられました」という説明がある。
もう1枚の写真「日光東照宮(栃木県日光市)」(3.3×5.2cm)は陽明門を写したもので、「徳川家康をまつるために,家光が造りました」という説明がある。

小学校歴教科書と中学校歴史教科書の比較

小学校歴史教科書『新しい社会 6 歴史編』(以下、「小学校歴史教科書」という)と中学校歴史教科書『新しい社会 歴史』(以下、「中学校歴史教科書」という)における徳川家康の扱いを比較すると、次のような違いがみられる。
まず、単元名について、小学校歴史教科書は「徳川家康と江戸幕府」、中学校歴史教科書は「江戸幕府の成立」としている。

本文の記述についても、小学校歴史教科書と中学校歴史教科書とでは、徳川家康の生い立ちから全国支配の確立までの経過や、江戸幕府の大名の配置や統制などの記述に違いがみられる。
小学校歴史教科書は、徳川家康の出生から人質での苦労を経て「戦いにすぐれた武将」となり、豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦いで勝利して全国支配を確立したことをわかりやすく記している。
また、江戸幕府の大名の配置や統制については、2つの小単元(「徳川家康と江戸幕府」「将軍による支配の安定」)において、「家康は,(中略),その配置をくふうしました」などと徳川家康を主体とした記述をしている。
一方、中学校歴史教科書は、徳川家康の生い立ちのことには触れず、豊臣秀吉死後から関ヶ原の戦いに勝利し、江戸幕府を開くまでのことを記述している。
大名の配置や統制については、「幕藩体制の確立」という単元で扱っているが、徳川家康と関連付けた記述とはなっていない。
また、その書きぶりは歴史的事象を時系列に並べ、年表を文章化したようなものである。




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本文の記述以外では、小学校歴史教科書がコラム「歌に見る3人の武将の天下統一」で、待ち続ける徳川家康の性格に触れている。
写真については、小学校歴史教科書が「関ヶ原の戦い(「関ヶ原合戦屏風」)」を掲載し、関ヶ原の戦いについて説明している。
中学校歴教科書は、徳川家康の肖像画の写真を掲載し、織田信長や豊臣秀吉と結んで勢力を拡大したこと、日光東照宮の陽明門の写真で、に徳川家康がまつられていることを、それぞれ説明している。

以上、小学校・中学校歴史教科書における徳川家康の扱いを比較すると、総じて、小学校歴史教科書は徳川家康という人物と歴史的事情を関連付けた内容となっているが、中学校歴史教科書は歴史的事象をより忠実に踏まえた内容である。
この違いは、教科書作成の基になる小学校・中学校それぞれの「学習指導要領」及び「学習指導要領解説」の内容の違いによるものである。

小学校学習指導要領や解説には、「歴史を通史として事象を網羅的に取り扱うものではない」こと、「資料については,人物の肖像画や伝記,エピソード(逸話)などによって人物への関心や調べる意欲を高めることも考えられる」こと、「事象と関わりの深い人物の働きを中心にして具体的に調べるようにする」ことが示されている。
より具体的には、習得すべき知識及び技能として「江戸幕府の始まりについては徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利を収め,その後,江戸幕府を開いたことが分かる」こととある。
また、歴史的事象に関連して「国家及び社会の発展に大きな働きをした代表的な人物」として42名が例示されているが、その中に徳川家康が含まれているのである。

一方、中学校学習指導要領や解説には、身に付ける知識として「江戸幕府の成立と対外関係」、また理解することとして「江戸幕府の成立と大名統制」などを基に「幕府と藩による支配が確立した」ことが示されている。
また、身に付ける「思考力,判断力,表現力等」には「幕府が大名を統制するとともに,その領内の政治の責任を大名に負わせたことに気付くことができるようにする」とある。
小学校の歴史学習では、子どもたちが興味・関心を高めやすい人物を中心に学習すること、中学校の歴史学習では「歴史の大きな流れ」を「各時代の特色を踏まえて理解する」ことが重視されており、この違いが小学校・中学校の歴史教科書における徳川家康の扱いに反映しているのである。

なお、近年の小学校・中学校の歴史学習では、基本的な知識の習得とともに、子どもたち自らが歴史的事象の原因や影響について人物や時代的背景などと関連付けて調べたり、考察したりすることが求められている。
その際、今年のNHK大河ドラマ『どうする家康』を真剣にみている子どもたちが、定説とは異なる徳川家康像や本能寺の変などの歴史的事象を信じて、誤った歴史認識を持つことがないよう、大人たちは注視する必要があると考える。




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<主な参考文献>
・北 俊夫、小原友行、ほか『新しい社会 6 歴史編』令和2年2月 東京書籍
『小学校学習指導要領(平成 29 年告示)』平成29年3月 告示 文部科学省
『小学校学習指導要領(平成 29 年告示)解説 社会編』平成29年7月 文部科学省
『中学校学習指導要領(平成 29 年告示)』平成29年3月 告示 文部科学省
『中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 社会編』平成29年7月 文部科学省

(寄稿)勝武@相模

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