常田隆永と常田俊綱と常田隆頼そして常田作兵衛
常田隆永(ときだ-たかなが)の父は諸説有、真田頼昌、海野棟綱、海野幸義などがある。 海野棟綱の3男とする説になると、武田信玄に仕えた真田幸隆が兄であり、常田隆永は常田家に養子として入った。 なお、矢沢頼綱よりも早く武田幸隆の配下に加わった...
常田隆永(ときだ-たかなが)の父は諸説有、真田頼昌、海野棟綱、海野幸義などがある。 海野棟綱の3男とする説になると、武田信玄に仕えた真田幸隆が兄であり、常田隆永は常田家に養子として入った。 なお、矢沢頼綱よりも早く武田幸隆の配下に加わった...
塔原幸貞(とうばら-ゆきさだ、海野幸貞、海野三河守幸貞)は、海野輝幸の4男で、正室は矢沢頼綱の娘であり、真田昌幸とは従兄弟にあたる。真田昌幸の進言により、武田勝頼から塔原家の家督を相続することが認められ、信濃先方衆20騎持ち塔原城主となる。...
壺谷又五郎(つぼや-またごろう)は、真田太平記に登場する忍者の頭目。 もとは武田晴信に仕えたと言う伊那の忍びで、上州攻略の際に、真田昌幸が武田勝頼から借り受けたのが、この忍びの壺谷又五郎である。 真田昌幸が沼田城を攻略すると、武田勝頼は「...
白倉武兵衛(しろくら-ぶへい)は、1547年生まれの武田家の家臣で、1564年に箕輪城攻めの際、真田幸隆が武田信玄に使いを出した武田家武将として白倉武兵衛の名が見られる。 武田勝頼の自決後、白倉武助(父か?)と共に真田昌幸を頼って、真田家...
真田幸昌(さなだ-ゆきまさ)は、1601年7月24日に真田幸村(真田信繁)の嫡男として九度山にて生まれた。通称は真田大助。母は竹林院(大谷吉継の娘)と推定されているが、生年は1600年~1603年と諸説ある。祖父・真田昌幸の名を逆にし、幸昌...
真田信政(さなだ-のぶまさ)は、真田信之の次男として1597年11月に生まれた。母は本多忠勝の娘である小松姫。関ヶ原の戦いの際に、徳川家の人質として江戸城に送られている。この時、徳川家康は真田信之の忠義に対して「吉光の短刀」与え、真田家の家...
真田信吉(さなだ-のぶよし)は、真田信幸(真田信之)の長男として、1595年に生まれた。母は、この当時正室であったとも考えられる真田信綱の娘(清音院)。この母は、のちに真田信幸が本多忠勝の娘・小松姫を迎えた際に、側室に降格となっている。なお...
真田幸村(真田信繁)に関する、ゆかりの地を一覧表にしてみました。みどころ・ポイント、アクセスや場所・行き方など詳しい情報・地図や駐車場情報などはリンク先にてご紹介致しております。ご訪問なさる際の参考になさって頂けますと幸いです。スポンサーリ...
真田信之(さなだ-のぶゆき)は、武藤喜兵衛(真田昌幸)の嫡男として1566年に生まれた。幼名は源三郎。母は山手殿。父・武藤喜兵衛は、真田幸隆の3男であったことから、武藤三郎左衛門尉の養子となっており、騎馬15騎、足軽30人を率いる足軽大将と...
三井景国(三井覚左衛門景国、三井奉膳、みついかげくに)は、はじめ真田昌幸に仕えた譜代の家臣。 三井家は、真田幸隆の叔母が三井家に嫁したことから、真田家とは親戚となり、真田氏家紋の「六文銭」を用いている。 三井景国は、1600年の第二次上田...