真田家

【豊臣秀吉と城】大坂冬の陣・夏の陣に関する考古資料の解説~茶臼山本陣跡や城の破却・落城などに関する遺構・遺物~

概要1614年(慶長19年)、方広寺(京都市東山区)の鐘銘問題をきっかけに豊臣家と徳川家が対立し、全面戦争となった。同年10月上旬、徳川家康は自ら大軍を率いて大坂へ向かい、11月中頃までには全国の諸大名からなる約20万の大軍勢で豊臣大坂城を...

【豊臣秀吉と城】豊臣大坂城本丸の実態を探究する~発掘調査で発見された石垣・遺構・瓦などから~

豊臣大坂城本丸の現状豊臣秀吉が築いた大坂城(以下、「豊臣大坂城」)の中枢である本丸は、大坂夏の陣で焼失し、江戸幕府が築いた大坂城(以下、「徳川大坂城」という)の再築工事によって地中に埋められている。現在、国の特別史跡に指定されている大坂城跡...

【徳川家康と城】江戸時代の大坂城「徳川大坂城」の特徴を探究する~築城経緯と縄張り(構造)から~

概要大阪の中心に位置する「大阪城公園」は現在、「大阪城天守閣」や歴史建造物が建ち並び、外国人を中心に多くの観光客が訪れている。公園内の旧大坂城域(約73.5万㎡)は、1953年(昭和28年)3月に国の特別史跡(「特別史跡大坂城跡」)に指定さ...

【徳川家康と城】名古屋城の豪華絢爛な御殿建築~本丸御殿及び二の丸御殿・庭園の歴史と整備を中心に~

概要名古屋城(愛知県名古屋市中区)は、徳川家康が関ヶ原の戦い(1600年)の勝利後に「天下普請(ぶしん)」で築城し、明治維新まで徳川御三家の筆頭・尾張徳川家の居城であった。名古屋城は本丸を中心に二の丸・西の丸・御深井(おふけ)丸・三の丸など...

【徳川家康と城】「天下普請」の城・名古屋城の築城~加藤清正による天守台の築造と天守の木造復元問題~

名古屋城の概要名古屋城(愛知県名古屋市中区)は、徳川家康が1610年(慶長15年)2月から「天下普請(ぶしん)」によって築城した輪郭(りんかく)式の平城である。明治維新まで、徳川家康の9男・徳川義直(よしなお)を初代とする尾張(愛知県)徳川...