城や史跡などをご紹介
鬼小十郎の城「白石城」の謎に迫る~石垣の調査と発掘調査から~
はじめに真田信繁(幸村)の遺児である阿梅は、大坂の陣ののち伊達政宗の重臣・片倉小十郎の側室となり、その弟の真田大助も伊達家の家臣となった。片倉家が代々城主を務めた白石城は謎の城と言われるほど、築城主や築城時期、二階櫓から三階櫓への改築の有無...
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はじめに真田信繁(幸村)の遺児である阿梅は、大坂の陣ののち伊達政宗の重臣・片倉小十郎の側室となり、その弟の真田大助も伊達家の家臣となった。片倉家が代々城主を務めた白石城は謎の城と言われるほど、築城主や築城時期、二階櫓から三階櫓への改築の有無...
はじめに真田信繁(真田幸村)の遺児である阿梅や真田大八(片倉守信)が過ごした白石城は、明治維新を機に廃城となった。現在は1992年(平成4年)からの復元工事により、天守の代わりをつとめた三階櫓などが復元されている。築城から廃城まで主なものだ...
真田信繁(真田幸村)の遺児である阿梅とその弟・真田大八(片倉守信)の墓が宮城県白石市の「功徳山当信寺」にある。1615(慶長20)年の大坂夏の陣において真田信繁(幸村)が討死した後、阿梅は伊達政宗の重臣である片倉重長の継室となり、真田大八は...
はじめに豊臣秀吉が晩年の城郭である「伏見城」(「指月伏見城」と倒壊後の「木幡山伏見城」)の築城には、真田昌幸・信幸・信繁(幸村)父子もそれぞれ人夫や用材などを負担するなど築城に関わった。その経緯については豊臣秀吉晩年の城・「伏見城」~築城経...
2月6日は、豊臣(羽柴)秀吉公が誕生したとされている日。そこで2月の記事は秀吉公について、私の見解のもと書かせて頂けたらと思います。正直申しますと…私は秀吉公はあまり好きではありません。関西人なのですが…(^_^;)私は浅井家、織田家、そし...
真田幸隆・真田昌幸や真田信之・真田幸村と言った真田家にもゆかり深い吾妻の岩櫃城(いわびつじょう)。岩櫃城は、最初、鎌倉時代の吾妻太郎助亮が築城したと言う地元の伝承があるが、不明瞭な点が多く、築城年・築城主は不明と言った方が良いだろう。加沢記...
宮城県白石市の白石城から外れた郊外にある、片倉家墓所と片倉喜多の墓、田村家墓所を訪問・お参りさせて頂きました。田村清顕の墓片倉喜多の墓から約70mほど離れた別の場所に「田村家墓所」があり、田村清顕の墓などがあります。スポンサーリンク (ad...
白石・当信寺は1597年、青蓮社良益による開山である浄土宗の寺院で、旧奥州街道沿いにあります。片倉小十郎が白石城主となると、城下町の区画整備よって現在の場所に移り、片倉家臣・小片丹後仲知が建立しました。山号は泰陽院と言い、片倉家の2代・片倉...
2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」にて、まさに大注目の大阪府・和歌山県の真田信繁(真田幸村)ゆかりある史跡・観光スポットをご紹介致します。まずは大阪府の史跡からご紹介させて頂きますが、大阪府では主に大阪冬の陣と大阪夏の陣での史跡・神社な...
三光神社(さんこうじんじゃ)は、大阪府大阪市天王寺区の宰相山公園にある神社ですが、大坂の陣のあと、真田山に移転した神社となります。創建は西暦410年頃と伝わりますが詳細は不明。ただし、武内宿禰の末裔とされる武川氏が代々神職であり、現在は86...