吾妻与惣左衛門と穴山小助の娘

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 吾妻与惣左衛門(我妻佐渡守、吾妻佐渡守)は、真田幸村の家臣であった三井景国の家来です。

 1615年、大阪夏の陣の際には、真田幸村の次男・真田大八と、阿梅・阿菖蒲おかね、そして付き添い役となった穴山小助の娘が、京都に滞在していた伊達政宗の重臣・片倉重綱に送り届けられた際に、護衛していたのが我妻佐渡(吾妻与惣左衛門)と西村孫之進です。

 そのまま、江戸の伊達藩邸、そして白石城へと共に同行して、片倉重綱の家臣に加わった際に、我妻与惣左衛門(あがつまよそうざえもん)と改名したようです。

 その後、穴山小助の娘と結婚して、白石にて1660年に死去した模様です。

穴山小助とは?




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