心眼寺の訪問記【真田丸の跡地にある真田幸村ゆかりの寺院】

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大阪の心眼寺(しんがんじ)は、1622年に白牟和尚(はくむ)が、真田信繁(真田幸村)と真田大助の冥福を祈るために創建した堂舎です。
白牟上人は滋野氏の一族であると言う説もあり、創建から寺の定紋は六文銭で、山号は真田山と称します。

しかし、当時の大坂は徳川幕府の直轄地でもあり、豊臣勢の武将である真田幸村父子の墓を作る事は許されなかったそうです。
それが、400年目である2014年10月に、ようやく真田左衛門佐豊臣信繁之墓として建立することができました。




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境内地は大坂冬の陣での「真田丸」城郭跡で、真田幸村鎧掛けの松の木もあったそうですが、1945年の大阪大空襲により堂宇ともども焼失したそうです。

真田幸村の供養碑

戦前の話ですが、地蔵参りのお土産?として「真田軍薬」と言う、真田幸村が傷薬として愛用していたとされる、黄色い粉末薬があり、昔は袋に入れて売られていたそうです。
※恐らく、戦後に薬の製造規定が厳しくなり、販売中止になったものと推測致します。

真田幸村出丸城跡

心眼寺の入口には「真田幸村出丸城跡」の石碑が立っています。

心眼寺

山門の左側には大阪龍馬会が建立なさった「京都見廻組」墓所の石碑も。

京都見廻組の桂早之助・渡辺吉太郎の墓

そうなんです。坂本龍馬を殺害した候補者で有力視されている、京都見廻組の桂早之助・渡辺吉太郎墓所にもなっています。
本堂の正面・左にあります。

まんなおし地蔵

心眼寺にある「まんなおし地蔵」は、間の悪さを直してくれるお地蔵さまです。
最近、どうも間の悪い事が多いなぁ~と感じている時に、お参りするとご利益があるとの事です。
いつも間が悪い小生ですので、丁重にお祈りしたのは、言うまでもありません。

なお、反対側の明星高校が真田丸の中心部だったとの推測もあり、学校のテニスコート脇に2016年2月頃、真田丸の出城跡を示す石碑として真田丸顕彰碑が、新たに建立されるとの情報もあります。
その後、下記の通り、撮影して参りました。
心眼寺の正面あたりです。

真田丸顕彰碑

心眼寺は宰相山公園の西側にあり、門が開いている時間は、8時~17時です。
駐車場はありませんので、周辺道路に点在するコインパーキング利用となります。
心眼寺へのアクセス・行き方ですが、下記の地図ポイント地点が入口となり、見学は無料です。

大阪市営地下鉄の玉造駅からだと歩いて5分くらいです。
付近にある三光神社と合わせて、ご訪問されると良いかと存じます。
下記の地図では、付近の観光スポットをまとめて記載してありますので、ご参考になさって頂けますと幸いです。


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