禰津元直と根津政直と禰津昌綱(根津信光)とは
禰津元直(ねづ-もとなお)は、信濃の小県郡禰津を本拠地とする戦国武将で、1495年生まれ。根津元直、祢津元直とも書く。官途は宮内大輔。禰津常安斎とも。子は禰津勝直、禰津政直、禰津信忠。1541年、武田信虎が小県へ侵攻した際に村上義清の軍勢に...
禰津元直(ねづ-もとなお)は、信濃の小県郡禰津を本拠地とする戦国武将で、1495年生まれ。根津元直、祢津元直とも書く。官途は宮内大輔。禰津常安斎とも。子は禰津勝直、禰津政直、禰津信忠。1541年、武田信虎が小県へ侵攻した際に村上義清の軍勢に...
山梨県の長坂にある徳雲山龍岸寺は、真田一族である真田隠岐守信尹の墓所なのですね。 この真田信尹は、真田幸隆の4男とされています。 すなわち、真田信綱、真田昌輝、真田昌幸の弟となります。 1582年に武田勝頼が自決したあとは、真田昌幸とは別...
壺谷又五郎(つぼや-またごろう)は、真田太平記に登場する忍者の頭目。 もとは武田晴信に仕えたと言う伊那の忍びで、上州攻略の際に、真田昌幸が武田勝頼から借り受けたのが、この忍びの壺谷又五郎である。 真田昌幸が沼田城を攻略すると、武田勝頼は「...
真田信政(さなだ-のぶまさ)は、真田信之の次男として1597年11月に生まれた。母は本多忠勝の娘である小松姫。関ヶ原の戦いの際に、徳川家の人質として江戸城に送られている。この時、徳川家康は真田信之の忠義に対して「吉光の短刀」与え、真田家の家...
真田信之(さなだ-のぶゆき)は、武藤喜兵衛(真田昌幸)の嫡男として1566年に生まれた。幼名は源三郎。母は山手殿。父・武藤喜兵衛は、真田幸隆の3男であったことから、武藤三郎左衛門尉の養子となっており、騎馬15騎、足軽30人を率いる足軽大将と...
真田信尹(さなだのぶただ)は、真田幸隆の4男として1547年?に誕生した。 母は正室・河原隆正の妹・恭雲院。 兄に真田信綱、真田昌輝、真田昌幸がいる。 なお、真田昌幸と歳が同じであることから、母は側室だったとする説や、双子だったと言う説...
奥村弥五兵衛(おくむらやごべえ)、奥村弥五兵衛光親(みつちか)、奥村光親は、1552年生まれの真田家の草の者。 奥村弥五兵衛(奥村光親)の父・弥介は甲賀出身の忍びで武田信玄に仕えており、その後、真田昌幸の忍者(諜報活動)として仕えた。 ...
真田信繁にござる。江戸時代からは真田幸村?とも呼ばれているようじゃが、まぁ、ワシはどちらでも良いぞ。 さて、いつもは「こっち」で出没する機会が多いのじゃが、今回は特別に遠路はるばるやってきたでござるよ。 それでは、簡単にワシ「真田幸村(真...
真田信繁(真田幸村)は真田昌幸の次男である。 戦国時代には多くの武将が後世に名を残しているが、その多くは「長男(嫡男)」である。 理由は簡単だ。 家督を継ぐのは世襲制であり、よっぽどな事が無い限りは長男に継承権があったためだが、もちろん、...