真田家

平原幡繁と清光院【真田昌幸の6娘】

 平原幡繁(平原和泉守幡繁)は1520年生まれとされる。 平原城主(有利小屋城主)で、1549年に上田原の戦いで敗れた武田晴信に反旗を翻して、村上義清から500の援軍を受けて籠城している。 そして、9月2日に武田信玄に攻められたが耐えて、翌...

なぞの真田源八郎?

 真田幸村が大阪の陣にて徳川家康勢と戦った際の譜代衆に「真田源八郎」なる武将の名が見受けられます。 この真田源八郎は1585年生まれとされますが、真田幸村が入った大阪城に入りました。 大阪夏の陣の最後の夜である5月6日に、決死の覚悟を決めた...

禰津元直と根津政直と禰津昌綱(根津信光)とは

禰津元直(ねづ-もとなお)は、信濃の小県郡禰津を本拠地とする戦国武将で、1495年生まれ。根津元直、祢津元直とも書く。官途は宮内大輔。禰津常安斎とも。子は禰津勝直、禰津政直、禰津信忠。1541年、武田信虎が小県へ侵攻した際に村上義清の軍勢に...

真田高勝(真田信春)とは

 真田高勝(真田信春)は、1549年生まれの真田幸隆の5男とされる。 母は河原隆正の妹とされる。 兄は真田信綱・真田昌輝・真田昌幸・真田信昌、真田信尹。 真田信尹が4男で、真田高勝(真田信春)が5男とする説もある。 別の名では真田隆勝、真田...

常田隆家、常田俊綱、常田綱富とは

 常田隆家(常田隆永、常田伊予守隆家)は武田信玄に仕えた真田幸隆と矢沢頼綱の弟で、生年は1520年とも? 小県郡上田の常田家の養子となり、常田姓を名乗った。 常田隆家の通称は常田七左衛門、常田新九郎。 矢沢頼綱よりも早い時期に真田幸隆の家臣...

真田幸村【真田信繁】の妻と子供たち一覧表

真田幸村の妻と子・娘は下記の通りです。正室・竹林院(大谷吉継の娘)※妹婿である浅井内蔵之助の娘が、大谷吉継の養女になって嫁いだとも?女子:あぐり(あくり) - 蒲生郷喜の室長男:真田大助(真田幸昌)女子:阿昌蒲(おしょうぶ、菖蒲) - 片倉...

田村宗顕と片倉定広【田村定広】と阿昌蒲(菖蒲)

 田村宗顕(たむら-むねあき)は、田村氏顕の子として1574年に生まれ、その後、伯父・田村清顕の養子となった。 この叔父・田村清顕の娘には愛姫がおり、1579年、12歳の頃、伊達政宗に嫁いでいる。 その後、1588年、伊達政宗によって田村宗...