真田清鏡【真田式部清鏡】とは~真田家とゆかりある僧侶


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 真田清鏡(さなだ-きよあき)は、真田幸隆の庶子とされ、母は羽尾幸全の娘とも?ある。
 ※羽尾幸全の娘は、真田幸隆の正室だったとする説もある。

 真田幸隆が真田の里を追われた際、上野に逃亡中の1541年、海野幸全(羽尾幸全)の屋敷に寄宿していたことがあったが、この時、海野幸全(羽尾幸全)の娘に男児を産ませたと言う話がある。
 事実であれば、真田式部清鏡は真田信綱の弟となり、真田昌輝の兄にあたるが、真田清鏡は寺に入れられたようで、その後、東北は羽黒山の修験者となり、羽黒山醍醐坊の開山となったようである。

 1591年、豊臣秀吉の奥州仕置に際、不満を持った南部一門の九戸政実・九戸実親の兄弟が南部宗家に対して「九戸政実の乱」起こしたが、この時、四戸家の南部利直を支援している。

 その恩賞として、南部利直から霞廻りの際に名主の家に宿泊しても良いと言う特権を得ている。

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 1599年、真田清鏡は檀那でもあった南部利直と碁の賭けで勝利し、南部利直の娘を妻にする約束となった。
 しかし、この約束が果たされないので、真田清鏡は憤り、南部家の玄関で切腹して果てた。
 城門に腸を叩きつけたと伝わっている。

 南部利直はその事を怒って、屍を川に投げ捨てさせたが、屍は川を逆流して三戸に流れ着いたと言い、それ以来、真田清鏡の霊が南部家へ祟りをおこした。
 そのため、南部利直は浅岸薬師の境内に清鏡荒神として真田清鏡を祀り、霊を祀ったと言われている。

 醍醐坊は子の七郎右衛門が継いだ。

 真田清鏡の墓は羽黒山奥之院の荒沢寺と羽黒山麓の金剛寺院にある。

 (参考) 真田家家臣団

 

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