真田頼昌とは~真田家の祖

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 真田頼昌(さなだ-よりまさ)は、1487年生まれの信濃の豪族。
 海野氏庶流の出身で官途名は右馬介、号は道端とされ、現在の研究では、真田氏の祖であると推定されているが、真田家の系譜は諸説あり、真田頼昌に関しても不明な点が多い。
 また、戦国時代の真田氏当主の通字は「綱」であることから、矛盾も生じている。
 特に、真田頼昌には真田綱吉(真田綱義)という嫡男がいたとする説があるが、この真田綱吉は真田幸隆の従兄弟・海野左馬允である可能性が高く、真田家との関連性は謎が多い。

 松代藩の真田家が江戸時代中期に編さんした、真田家系図書上案(真田家文書)では、清和源氏を発祥とし滋野氏・海野氏と続き、松尾古城を中心に真田の里を領したとされる。

 真田氏の分家とされる、良泉寺矢沢氏系図と良泉寺過去帳では、海野棟綱の女婿が真田頼昌であり、子として真田幸隆(真田幸綱)、矢沢綱頼、常田隆永の3人が記載されている。
 また五男は鎌原幸定だとされる。



 真田頼昌は1523年3月15日に死去したとされ。長谷寺(上田市真田町)付近に墓があったようだが、現在は不明。

 真田頼昌の妻・海野棟綱の娘の法名は玉窓貞音大禅尼で、1540年4月26日に死去したとされる。
 ただし、息子とされる真田幸隆にも海野棟綱の娘が正室であったとされる。

 同じ武将の娘2人が、それぞれ真田の親子に嫁ぐと言う事も無きにしも非ずだが、疑問点も残している。

 →真田幸隆とは