高野山にある「蓮華定院」は真田昌幸と真田幸村が最初に高野山に幽閉された際に蟄居した真田家ゆかりの寺院です。
蓮華定院(れんげじょういん)は、室町時代の1523年に長野の小県・佐久地方の豪族と宿坊契約が結ばれたと言う記録があります。
その縁で海野氏の一族でもある真田昌幸は、1600年の関ヶ原の戦いの後、次男・真田幸村(真田信繁)と共に高野山に蟄居した際に、この蓮華定院に滞在しました。
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ちなみに、当時の高野山は女人禁制であったため、伝承では大谷吉継の娘・竹林院など妻子は九度山に置いたと言われており、のち、真田昌幸と真田幸村も許可を得て、九度山に降りる事になったとされます。
大阪夏の陣にて真田幸村が討死したあとは、松代藩・真田信之が高野山における真田家の菩薩寺として引き続き庇護を受けました。
入口となる蓮華定院の門には「六文銭」の提灯が掲げられていてもう、真田ファンにはたまらないですよ。
江戸時代には真田信之と小松姫の娘(次女)である「まさ」(見樹院)が永代供養料として1000両を納めたそうです。
蓮華定院は宿坊になっていますので、宿泊すると、真田昌幸が過ごしたとされる部屋も見学する事が可能です。(宿泊客以外は建物内部見学は不可)
裏手には真田家墓所があり、真田信之と2代藩主の真田信政の墓がありますが、こちらは宿泊していなくても、ご迷惑にならない時間帯であれば見学する事ができます。
蓮華定院の境内から墓所へ行くためには、事務所にて一声掛けてから入ってください。
そうしないと、家宅侵入罪になってしまいますよ。
なお、真田家墓所は境内にある訳ではないので、蓮華定院と北方にある女人堂の中間地点の脇道から徒歩で入れば、蓮華定院の境内を経由しなくても、真田家墓所へ行く事が可能です。
下記の地図ポイント地点が、真田家墓所がある場所となりますので、ご参考になさってください。
※地図は縮尺を変えてご覧願います。
小生も昔に、出身地の大名家と関係の有った高野山の別の宿坊には宿泊したことがあるのですが、今回は慌ただしい姫路・大阪・高野山3日間の旅であったため、高野山は半日で済ませてしまいました。
蓮華定院さんの宿坊にも機会があれば是非泊まってみたいと思いますので、心の中ではかなりの上位に入る次なる旅の候補地&宿泊施設でございます。
また、蓮華定院さんの英語力も有名でして、法話も英語で対応しており、宿泊客も外国人が多くて、働いている皆様も英語が達者との事です。
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さて、蓮華定院への行き方ですが、高野山内路線バスの場合「一心口」バス停下車ですぐです。
車の場合、蓮華定院さんの目の前にある「池」の周りに駐車スペースがありますが、土日祝は混雑するかも知れません。
いずれにせよ、お車の場合には、蓮華定院さんや付近に寺院・住民の方にご迷惑をお掛けしない様、ご注意願いたく存じます。
ご近所には「高野山の徳川家霊台」がありますので、セットでどうぞ。
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