当信寺~阿梅の方の墓と真田大八の墓【白石市】

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白石・当信寺は1597年、青蓮社良益による開山である浄土宗の寺院で、旧奥州街道沿いにあります。

片倉小十郎白石城主となると、城下町の区画整備よって現在の場所に移り、片倉家臣・小片丹後仲知が建立しました。

山号は泰陽院と言い、片倉家の2代・片倉重長公の継室とも言われる、真田幸村の娘・阿梅の方(泰陽院殿松源壽清大姉)の菩提寺になったことが由来です。



当信寺の山門は、白石城・二の丸大手二の門(東口門)を移築したものです。

白石城の東口門

二階中央には時を告げる太鼓が吊るされていたと言う事で、床には角格子があります。
各写真はクリックすると拡大します。

当信寺の本堂

本堂の右手から裏へと廻りますと、阿梅の方の墓と、真田信繁の次男・真田大八の墓があります。
案内が出ていますので、場所はわかりやすく配慮させていますので、ありがたいです。

当信寺にある阿梅の方の墓

これは、真田幸村(真田信繁)が大阪夏の陣の際、討死の覚悟決め、縁故もあった白石城主・片倉重長に、子供の将来を託したとされています。

2人は白石城・二の丸で秘かに養育され、阿梅は片倉重長の正室が病死したあとに、継室となって78歳で没しました。
真田大八は、片倉四郎兵衛守信と名乗り、1000石として伊達家に仕えましたが、59才で没しています。

阿梅の墓と真田大八の墓

ちなみに、真田幸村の娘・おかねは早世しましたが、阿菖蒲は田村定廣の正室となったようです。
※阿菖蒲の墓は蔵本勝坂の田村家墓地にあります。

なお、阿梅の墓は、虫歯に耐え忍んでいる「虫歯の仏」として信仰され、石仏を削り取って歯につけると歯痛が治ると言う事で、至る所が削り取られてしまっています。

阿梅の墓

これは阿梅が敵の中で生活していた際に、すぐに戦えるよう、寝る時も帯を解くことが無かったため、いつものぼせて「歯が痛む」事が多くて苦しんだそうで「たとえ仇の子でも、歯の苦しみだけはさせたくない」と、生前に語っていたと言う事で「虫歯の仏様」として信仰されたと言う事です。

下記写真は真田大八(片倉守信)の墓です。

真田大八(片倉守信)の墓

また、阿梅が45歳の時である1648年に、片倉家が真田幸村の菩提寺として森合(白石市郊外)に月心院を開山(現在は廃寺)しましたが、その翌年に、阿梅の母・大谷吉継の娘・竹林院が亡くなり、京都の竜安寺に葬られた事を知った阿梅が、両親の位牌を当信寺に安置したとの記録があります。

白石老人の墓が、阿梅の墓の近くにありますが、誰やねん? 
と思い説明を拝見しました。

白石老人の墓

この白石老人は、名前も出生も分からない年齢不詳ですが、文武百芸と言う事で多くの方から慕われて崇敬されていた「仙人のようなジイ様」だったようです。
年齢不詳なのに、107歳で亡くなった?と言われているようですので、オモシロイですね~。





当信寺への行き方・アクセスですが、白石駅からだと徒歩8分となります。
駐車場はグルグル回ってみましたが、見つけることができませんでしたので、付近の駐車禁止ではない道路で、消防車などの通行の妨げにならないところに、短時間止めさせて頂きました。

地図は縮尺をかえて見て下さい。
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