【西洋式城郭】世界各地の「星形城郭」の解説~発展から衰退、そして文化遺産へ~
星形城郭の概要北海道函館の五稜郭や長野県佐久市にある龍岡城は、これまでの我が国の城郭とは異なり、五つの角を持つ星形をしている。こうした城郭は15世紀半ば以降のイタリアで発生し、17世紀後半、世界各地で急速に発展・普及していった築城様式である...
真田家関連の城跡情報
星形城郭の概要北海道函館の五稜郭や長野県佐久市にある龍岡城は、これまでの我が国の城郭とは異なり、五つの角を持つ星形をしている。こうした城郭は15世紀半ば以降のイタリアで発生し、17世紀後半、世界各地で急速に発展・普及していった築城様式である...
五稜郭の築城日本の城は弥生時代の環濠集落から古代の山城・水城(みずき)、城柵(じょうさく)などを経て、中世になる堀と土塁からなる館・山城などが全国各地に築かれた。現在、全国に3万~4万の城があったとされているが、その大半は中世の城である。安...
北海道・北東北の縄文時代日本列島の歴史において、約15,000年前から約2,400年前までの時期を「縄文時代」と呼んでいる。縄文時代の前の旧石器時代は寒冷な気候が長く続き、縄文時代の後は稲作農耕が普及した弥生時代となる。世界文化遺産に登録さ...
武田勝頼が頼った山城岩殿山城(いわどのやまじょう)は、山梨県大月市の標高約634mの岩殿山に築かれた山城で、登城口までは中央本線・大月駅から徒歩で約15分である。岩殿山は相模川水系の桂川と葛野川とが合流する地点の西側に位置し、南面は西から東...
要害山城の概要・アクセス要害山城(山梨県甲府市)は1520年(永正17年)6月、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)から北東へ約2.5㎞離れた標高約800mの要害山に武田信虎によって築城された山城である。武田信虎・武田信玄・武田勝頼の三代にわた...
整備計画と発掘調査城郭を調査する方法には、文献史料や絵図類などを読み解く文献調査や、現地に赴き現状の遺構を観察する縄張調査、そして発掘調査で発見された遺構や遺物を分析・考察する方法がある。躑躅ヶ崎館(山梨県甲府市)は1519年(永正16年)...
躑躅ヶ崎館山梨県甲府市に所在する躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)は、1519年(永正16年)の築城から1581年(天正9年)年に新府城に移転するまでの約60年間、武田信虎・武田信玄・武田勝頼の3代の居館となり、領国経営の中心であった。武田氏...
躑躅ヶ崎館の概要真田信綱(幸隆)・信綱父子の屋敷があった躑躅ヶ崎(つつじがさき)館(山梨県甲府市)は、戦国時代に甲斐国(山梨県)の守護・武田氏の本拠地として築かれた。躑躅ヶ崎館は県中部の甲府盆地の北端、南流する相川の扇状地上に位置する。東側...
深沢城とは深沢城(静岡県御殿場市)は馬伏(まぶせ)川と抜(ぬけ)川とが合流する地点、若干の起伏をともなう平地部に位置する。周囲の地形は城を築く場所としては相応しくなさそうだが、足柄地方や甲州から駿東方面へ入る交通の要衝であった。深沢城は15...
山中城とは「日本百名城」に選定されている山中城(静岡県三島市)は、戦国時代末期の天文年間から永禄年間(1530年~1560年頃)に関東の覇者・後北条氏によって築城された。箱根外輪山の西側の中腹、東海道沿いの標高580mの尾根上の東西500m...