真田鉄砲隊「一斉射撃」動画~上田真田まつり
長野県上田市「上田真田まつり」のイベント「真田鉄砲隊」による火縄銃の発射実演動画です。 なんでも、火縄銃への弾込めに関して、現在の日本で一番早いのが、この「真田鉄砲隊」さんらしいです。 上田城では鉄砲を駆使して、徳川家康勢を撃退した真田昌...
長野県上田市「上田真田まつり」のイベント「真田鉄砲隊」による火縄銃の発射実演動画です。 なんでも、火縄銃への弾込めに関して、現在の日本で一番早いのが、この「真田鉄砲隊」さんらしいです。 上田城では鉄砲を駆使して、徳川家康勢を撃退した真田昌...
真田家の忍者とした仕えた唐沢玄蕃は、初代と2代目と同じ名であるため、両方の唐沢玄蕃を紹介したい。初代・唐沢玄蕃 生年は不詳。はじめは、信濃・沢渡の地侍で吾妻・岩櫃城主の斉藤憲次に仕えていた。唐沢杢之助(唐沢杢之介)と名乗り、唐沢久幸とも...
河原隆正 河原隆正(河原丹波守隆正)は1509年生まれで、真田幸隆に嫁いだ正室・河原殿の兄。 信濃の豪族で海野家の海野棟綱に仕えていたが、1541年、海野平の戦いで武田信虎・村上義清連合軍に敗れると、海野棟綱に従って関東管領・上杉憲政の元...
真田信尹(さなだのぶただ)は、真田幸隆の4男として1547年?に誕生した。 母は正室・河原隆正の妹・恭雲院。 兄に真田信綱、真田昌輝、真田昌幸がいる。 なお、真田昌幸と歳が同じであることから、母は側室だったとする説や、双子だったと言う説...
真田昌輝(さなだまさてる、真田兵部少輔、真田兵部丞昌輝)は、武田家の重臣・真田幸隆の2男。 母は河原隆正の妹・恭雲院。 1543年6月に岩尾城で生まれたとされるが、ちょうど真田幸隆が武田信玄に仕える事になったか、ならないか様々な説がある...
鎌原幸定(かんばらゆきさだ)は、真田家の祖・真田頼昌の子で、真田幸隆の弟。 海野棟綱の3男とする説もある。官途は大和守。 その後、上野吾妻郡の海野氏の一族である三原城主・鎌原幸政(鎌原修理亮幸政)の養子となった。 武田信玄が信濃に進出す...
金子泰清(かねこやすきよ)の官途は美濃守、通称は新左衛門。 生没年は不明であるが、利根郡追貝村(沼田市利根町追貝)の名主であったとされ、妹(又は娘)が沼田顕泰が寵愛した側室となると、沼田家の家臣に加わったようで、沼田景義の伯父(又は祖父)...
真田昌幸や真田幸村が世に出るキッカケを与えてくれた恩人とも言える、武田信玄公の跡を継いだ「武田勝頼」の奇跡について、分かり易く「動画解説」にしてみました。 長篠の戦いで大敗を喫し、真田信綱・真田昌輝を始め、山県昌景、馬場信春、内藤昌豊、原...
奥村弥五兵衛(おくむらやごべえ)、奥村弥五兵衛光親(みつちか)、奥村光親は、1552年生まれの真田家の草の者。 奥村弥五兵衛(奥村光親)の父・弥介は甲賀出身の忍びで武田信玄に仕えており、その後、真田昌幸の忍者(諜報活動)として仕えた。 ...
真田信勝(さなだのぶかつ)は、真田昌幸の3男(4男)とも。生年も不明。通称は真田左馬助。 母の名は某氏とあり不詳だが、兄・真田信之、真田幸村とは母が異なり、年齢もかなり離れていたとされている。 江戸幕府が開かれると、弟・真田昌親と同じよ...