相木森之助 真田家の家臣・真田十勇士
相木森之助(あいきもりのすけ、相木盛之助、相木幸雄)は、武田家の一族・加賀光経(加賀美四郎)の家臣。 加賀美四郎の腹心であったとされるため、筆頭家老と推定でき、真田三代記では勇者として登場する。 賀美家は、武田氏祖・武田信義の弟・加賀美...
相木森之助(あいきもりのすけ、相木盛之助、相木幸雄)は、武田家の一族・加賀光経(加賀美四郎)の家臣。 加賀美四郎の腹心であったとされるため、筆頭家老と推定でき、真田三代記では勇者として登場する。 賀美家は、武田氏祖・武田信義の弟・加賀美...
姉山甚八(あねやまじんぱち)は、真田家の草の者。 すなわち忍者である。 おなじ草の者である女忍・お江や、奥村弥五兵衛らと共に、甲賀の山中に潜入。 山中忍びの牛原の茂兵衛と戦うと、甲賀の飛苦無を肩に受けて大怪我を負った。 甲賀からの撤退する...
真田信繁(真田幸村)は真田昌幸の次男である。 戦国時代には多くの武将が後世に名を残しているが、その多くは「長男(嫡男)」である。 理由は簡単だ。 家督を継ぐのは世襲制であり、よっぽどな事が無い限りは長男に継承権があったためだが、もちろん、...
村松殿(むらまつどの)は、1565年に甲府で生まれた。名は於国。 父は武田信玄の家臣・真田昌幸で、母は正室・山手殿とされる。 弟に真田信幸(真田信之)・真田信繁(真田幸村)らがいる。 村松殿は、1582年頃、小山田信茂の一門と考えられる、...
山手殿は宇多頼忠の娘という説が有力だが、武田信玄の家臣・遠山右馬助の娘とする説もあり、良くわかっていない。生年は不詳。 いずれにせよ、1564年頃?に、武田信玄の足軽大将・武藤喜兵衛(後の真田昌幸、20歳)の正室となった。 別名は山手之殿...
根津甚八さんと言うと、どうしても、著名な俳優・根津甚八さんを連想する方も多いかと存ずるが、ここでは真田十勇士の根津甚八についてご紹介したい。 真田十勇士に登場する根津甚八(ねづじんぱち)の姓は、滋野三家(海野・禰津・望月)の根津である。 ...
竹林院(ちくりんいん)の生年は不明。本名も不明。 大谷吉継の娘とされるが、妹・姪とする説もある。 大谷吉継の妻(正室・側室)の名前は不明である為、竹林院の母の名も不明で、生まれた年も分からない状況となっている。 ※「安岐姫」「利世」という...
真田幸村(真田信繁)の両親は下記の通り。 父 真田昌幸 母 宇多頼忠の娘・山手殿 真田幸村の兄弟は下記の通り。 姉 村松殿 小山田茂誠の正室 兄 真田信之 信濃松代藩・初代藩主 弟 真田信勝 弟 真田昌親 妹 真田幸政の正室 妹 鎌原重...
湯本家とは? 草津温泉の土豪・湯本善太夫が、湯本家の長であったが、1563年5月、長野原の戦いを機に武田信玄に出仕。 1563年9月、真田幸隆(51歳)が吾妻郡の岩櫃城を攻めると、湯本善太夫を重んじ、岩櫃城攻めにおいて200余りの小隊を率い...
由利鎌之介(ゆりかまのすけ)は、真田三代記や大坂夏陣図にも、由利鎌之介の名で登場する実在の人物。 真田十勇士の由利鎌之介は「史実の由利鎌之介を元にしている」という説と、「創作された架空の人物」という説があるが、鎖鎌の名手であり、槍の達人と...