真田家

真田高勝(真田信春)とは

 真田高勝(真田信春)は、1549年生まれの真田幸隆の5男とされる。 母は河原隆正の妹とされる。 兄は真田信綱・真田昌輝・真田昌幸・真田信昌、真田信尹。 真田信尹が4男で、真田高勝(真田信春)が5男とする説もある。 別の名では真田隆勝、真田...

常田隆家、常田俊綱、常田綱富とは

 常田隆家(常田隆永、常田伊予守隆家)は武田信玄に仕えた真田幸隆と矢沢頼綱の弟で、生年は1520年とも? 小県郡上田の常田家の養子となり、常田姓を名乗った。 常田隆家の通称は常田七左衛門、常田新九郎。 矢沢頼綱よりも早い時期に真田幸隆の家臣...

真田幸村【真田信繁】の妻と子供たち一覧表

真田幸村の妻と子・娘は下記の通りです。正室・竹林院(大谷吉継の娘)※妹婿である浅井内蔵之助の娘が、大谷吉継の養女になって嫁いだとも?女子:あぐり(あくり) - 蒲生郷喜の室長男:真田大助(真田幸昌)女子:阿昌蒲(おしょうぶ、菖蒲) - 片倉...

田村宗顕と片倉定広【田村定広】と阿昌蒲(菖蒲)

 田村宗顕(たむら-むねあき)は、田村氏顕の子として1574年に生まれ、その後、伯父・田村清顕の養子となった。 この叔父・田村清顕の娘には愛姫がおり、1579年、12歳の頃、伊達政宗に嫁いでいる。 その後、1588年、伊達政宗によって田村宗...

おかねと石川貞清(石川光吉)~元・犬山城主

 石川貞清(いしかわ-きよさだ)は、美濃出身の兄・石川一光の一族と言われ、石川光重の子ともあるが詳しくは分からない。 豊臣秀吉の使番である金切裂指物使番として、1590年の小田原攻めにて功績を挙げた。 初名は石川光吉と名乗っていたようだ。 ...

高梨内記と娘きり【真田信繁の側室】

高梨内記は真田昌幸の家臣で、九度山に幽閉された際に、同行した家臣16人の1人です。そして、高梨内記の娘・采女(うめね)が、真田幸村(真田信繁)の側室となり、次女・於市と、3女・阿梅(おうめ)を産んだとされます。ただし、於市は早世し、阿梅(お...

真田之親(石田之親)とは~讃岐に逃れた信繁の子?

 真田之親(さなだ-ゆきちか)の生没年不詳。 真田幸村(真田信繁)の4男とされるが、母などは不明。 別名としては石田之親、石田権左衛門とある。 真田幸村が九度山で蟄居していた際に、百姓の娘に産ませた子とも伝わる。 ただし、大坂冬の陣の前には...