富沢豊前守【富澤豊前守】と望月主人

 富沢豊前守(富澤豊前守)は、富沢出羽守の次男。生没年などは不詳。

 次男でありながら武勇を誇ったようで吾妻七騎の旗頭として、長篠の戦い沼田城攻略戦、対北条戦など真田昌幸の配下しとて参加。
一軍の将ではないものの、武勇伝ある猛者であり、真田昌幸の上州攻略の陣立てにおいては、馬廻衆にその名が見られる。

 1580年に真田昌幸が中之条町の横尾八幡城(横尾八幡要害)を攻略すると、富沢豊前守が城主となっている

 なお、弟・富沢治部少輔は真田信綱の側にあって、長篠の戦いで討死している。



望月主人

 さて、望月主人の方だが、調べてみても良く分からない。

 真田十勇士に登場する望月六郎と関連性が有るようにも思えるが、確証がつかめない。

 もし、望月主人について何かご存知の方がおられたならば、是非、コメント欄より情報提供をお願い申し上げたい。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!







関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

最新記事

  1. 名護屋城

    真田昌幸・信幸・信繁(幸村)父子が在陣した「名護屋城」~構造・整備状況を中心に~

    概要 真田昌幸・信幸・信繁(幸村)父子は、1592(文禄元)年から1598(慶長3)年までの朝鮮出…
  2. 名護屋城

    真田一族と朝鮮出兵~「名護屋城」への在陣~

    朝鮮出兵の概要 全国統一を果たした豊臣秀吉は明の征服を試み、1587(天正15)年、対馬の大名…
  3. 忍城

    真田父子も攻めた「忍の浮き城・忍城」~その歴史と現状~

    概要 豊臣秀吉の小田原攻めにおいて、北国勢に属した真田昌幸と信幸・信繁父子は「鉢形城」(埼玉県…
ページ上部へ戻る