北能登守とは~小川城主として真田家に貢献した武将

上杉謙信に臣従していた小川城主・小川可游斎(小川可游斎)の家臣に、北能登守と武将が見受けられるが、小川氏の一族と考えられる。

1570年、武田信玄の進出に押されて、小川城は武田家に臣従。
その後、1580年10月に鉢形城主・北条氏邦らの圧迫を受け、小川可游斎(小川可游斎)は越後に逃れる。



真田昌幸沼田城を手に入れた頃、小川城も真田家の支配となったようで1581年から1592年頃まで、北能登守の名が小川城の城代として見受けられる。

1584年に、真田昌幸が上田城にて室賀正武を暗殺した際の実行犯は、北能登守と木村五兵衛となっている。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めでも、真田昌幸の軍勢に沼田衆の重鎮として北能登守の名がある。

1595年、真田信幸(真田信之)が北能登守の家臣を、他の武将らに転属させているので、この頃、北能登守は亡くなったと推定できる。

室賀正武の真田昌幸暗殺未遂事件【大河ドラマ真田丸】
真田昌幸~戦国時代を巧みに生き抜き真田家を守った名将
真田信之【真田信幸】とは?詳細版で詳しくわかる吉光のお長持







関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. 2015年 12月 29日

最新記事

  1. 伏見城

    豊臣秀吉晩年の城・「伏見城」~築城経緯と真田父子が果たした役割~

    概要 豊臣秀吉が晩年に京都市伏見に築城した「伏見城」(京都市伏見区)は、宇治川北岸の泰長老の辺りに…
  2. 名護屋城

    真田昌幸・信幸・信繁(幸村)父子が在陣した「名護屋城」~構造・整備状況を中心に~

    概要 真田昌幸・信幸・信繁(幸村)父子は、1592(文禄元)年から1598(慶長3)年までの朝鮮出…
  3. 名護屋城

    真田一族と朝鮮出兵~「名護屋城」への在陣~

    朝鮮出兵の概要 全国統一を果たした豊臣秀吉は明の征服を試み、1587(天正15)年、対馬の大名…
ページ上部へ戻る