真田幸村が大阪の陣にて徳川家康勢と戦った際の譜代衆に「真田源八郎」なる武将の名が見受けられます。

 この真田源八郎は1585年生まれとされますが、真田幸村が入った大阪城に入りました。

 大阪夏の陣の最後の夜である5月6日に、決死の覚悟を決めた真田幸村は、配下の者に「国に妻子のあるものは去れ」と言ったと言います。

 しかし、誰も立ち去ろうとはしなかった為、真田源八郎を呼ぶと論して、皆の遺書を上田城に届けさせたと言われています。



 その後、真田源八郎は浪人してすぐの1616年までには、池田輝政の長男である姫路藩主・池田利隆(池田備後守利隆)に仕えました。
 そして、姫路藩士として80歳まで生きたと伝わります。

 ただし、真田家の系図には、この真田源八郎は出て来ませんので、真田家の親類だったのか?はたまた養子?と言う事だったのかなどは不詳です。

 →大阪夏の陣のあと、幸村の家族はどうなったのかを探ったまとめ


 

 

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