三井景国・三井覚左衛門景国・三井奉膳 真田幸村の家臣
三井景国(三井覚左衛門景国、三井奉膳、みついかげくに)は、はじめ真田昌幸に仕えた譜代の家臣。 三井家は、真田幸隆の叔母が三井家に嫁したことから、真田家とは親戚となり、真田氏家紋の「六文銭」を用いている。 三井景国は、1600年の第二次上田...
三井景国(三井覚左衛門景国、三井奉膳、みついかげくに)は、はじめ真田昌幸に仕えた譜代の家臣。 三井家は、真田幸隆の叔母が三井家に嫁したことから、真田家とは親戚となり、真田氏家紋の「六文銭」を用いている。 三井景国は、1600年の第二次上田...
真田信尹(さなだのぶただ)は、真田幸隆の4男として1547年?に誕生した。 母は正室・河原隆正の妹・恭雲院。 兄に真田信綱、真田昌輝、真田昌幸がいる。 なお、真田昌幸と歳が同じであることから、母は側室だったとする説や、双子だったと言う説...
鎌原幸定(かんばらゆきさだ)は、真田家の祖・真田頼昌の子で、真田幸隆の弟。 海野棟綱の3男とする説もある。官途は大和守。 その後、上野吾妻郡の海野氏の一族である三原城主・鎌原幸政(鎌原修理亮幸政)の養子となった。 武田信玄が信濃に進出す...
九度山は、高野山への入口にあたる北谷にある。 北側に紀ノ川の流れを望み、高野山の東北を繞って、紀ノ川へと注ぐ丹生川を見下ろす「丘」の中腹に、真田屋敷があった。 上田城にいた際の居館とは比べ物にならないが、大台所のまわりに、家来・小者や侍...
真田信繁にござる。江戸時代からは真田幸村?とも呼ばれているようじゃが、まぁ、ワシはどちらでも良いぞ。 さて、いつもは「こっち」で出没する機会が多いのじゃが、今回は特別に遠路はるばるやってきたでござるよ。 それでは、簡単にワシ「真田幸村(真...
相木森之助(あいきもりのすけ、相木盛之助、相木幸雄)は、武田家の一族・加賀光経(加賀美四郎)の家臣。 加賀美四郎の腹心であったとされるため、筆頭家老と推定でき、真田三代記では勇者として登場する。 賀美家は、武田氏祖・武田信義の弟・加賀美...
真田信繁(真田幸村)は真田昌幸の次男である。 戦国時代には多くの武将が後世に名を残しているが、その多くは「長男(嫡男)」である。 理由は簡単だ。 家督を継ぐのは世襲制であり、よっぽどな事が無い限りは長男に継承権があったためだが、もちろん、...
根津甚八さんと言うと、どうしても、著名な俳優・根津甚八さんを連想する方も多いかと存ずるが、ここでは真田十勇士の根津甚八についてご紹介したい。 真田十勇士に登場する根津甚八(ねづじんぱち)の姓は、滋野三家(海野・禰津・望月)の根津である。 ...
竹林院(ちくりんいん)の生年は不明。本名も不明。 大谷吉継の娘とされるが、妹・姪とする説もある。 大谷吉継の妻(正室・側室)の名前は不明である為、竹林院の母の名も不明で、生まれた年も分からない状況となっている。 ※「安岐姫」「利世」という...
由利鎌之介(ゆりかまのすけ)は、真田三代記や大坂夏陣図にも、由利鎌之介の名で登場する実在の人物。 真田十勇士の由利鎌之介は「史実の由利鎌之介を元にしている」という説と、「創作された架空の人物」という説があるが、鎖鎌の名手であり、槍の達人と...