真田家

青柳清庵~九度山に同行した真田家臣と青柳千弥?

青柳清庵(あおやぎ-せいあん)は戦国時代の1550年?生まれとされる。元々、青柳家と言うのは、北信濃で君臨した村上義清の家臣で、武田信玄が川中島へ進出を図った際に、真田幸隆によって調略されて、武田家臣になった。この時、青柳近江守、青柳伊勢守...

伊木遠雄~真田丸における真田幸村の軍監

伊木遠雄(いき-とおかつ/いき-とおたけ)は、尾張の出身・伊木忠次の長男で1567年生まれ。通称は伊木半七。伊木七郎右衛門。なお、伊木家は平清盛の末裔とされている。豊臣秀吉の近習として仕えると、賤ヶ岳の戦いで戦功を挙げ、野々村雅春、青木一重...

当信寺~阿梅の方の墓と真田大八の墓【白石市】

白石・当信寺は1597年、青蓮社良益による開山である浄土宗の寺院で、旧奥州街道沿いにあります。片倉小十郎が白石城主となると、城下町の区画整備よって現在の場所に移り、片倉家臣・小片丹後仲知が建立しました。山号は泰陽院と言い、片倉家の2代・片倉...

山田右近尉~北信濃の武将と真田家の関係

大河ドラマ「真田丸」に登場する山田右近尉について色々と調べてみましたが、詳しい事は不明です。元々、北信濃の山田氏と言うと、荒砥城主・山田越中守二郎として知られますが、山田氏は村上義清の村上一族です。戦国時代には、山田国政が吾妻清綱とともに荒...

長崎基家(長崎元家)~滝川家の家臣【真田丸】

長崎基家(長崎元家)(ながさき-もといえ)は、1538年生まれで長崎弥左衛門尉とも呼ばれる。最初は滝川一益の家臣であり、主に奉行として活躍した。1582年の本能寺の変のあと、滝川一益の命を受けて、援軍を要請する為、滝川家の家臣になっていた本...