戦国時代・江戸時代の武将、城郭など
真田之親(石田之親)とは~讃岐に逃れた信繁の子?
真田之親(さなだ-ゆきちか)の生没年不詳。 真田幸村(真田信繁)の4男とされるが、母などは不明。 別名としては石田之親、石田権左衛門とある。 真田幸村が九度山で蟄居していた際に、百姓の娘に産ませた子とも伝わる。 ただし、大坂冬の陣の前には...
戦国時代・江戸時代の武将、城郭など
真田之親(さなだ-ゆきちか)の生没年不詳。 真田幸村(真田信繁)の4男とされるが、母などは不明。 別名としては石田之親、石田権左衛門とある。 真田幸村が九度山で蟄居していた際に、百姓の娘に産ませた子とも伝わる。 ただし、大坂冬の陣の前には...
大阪冬の陣での最後の戦いである「天王寺・岡山の戦い」。いわば、戦国時代の終焉ともされる戦国最後の戦とも言えるだろう。豊臣勢は前日の戦いで、後藤又兵衛・木村重成・薄田兼相・塙直之など多数の勇将を失い、1615年5月7日の未明、徳川勢に対して大...
月刊誌「歴史人」2015年7月号を購入致しました。 雑誌を買ったのなんて、何年ぶりでしょうか? いつも電子書籍ばかりですからね。 ともあれ、私に取っては非常に珍しい買い物となりましたが、購入致しました理由は「本能寺の変」が特集だったから...
真田昌幸が最初、養子に入った武藤家に関して調べてみました。 甲斐の武藤家は、甲斐源氏である武田氏の庶流・大井氏からの支族であり、武田信玄の母・大井の方が、その大井氏の出身です。 すなわち、武藤家は武田家の親族衆です。 戦国時代の甲斐・武藤...
山梨県の長坂にある徳雲山龍岸寺は、真田一族である真田隠岐守信尹の墓所なのですね。 この真田信尹は、真田幸隆の4男とされています。 すなわち、真田信綱、真田昌輝、真田昌幸の弟となります。 1582年に武田勝頼が自決したあとは、真田昌幸とは別...
横谷幸重(よこや-ゆきしげ)は、通称を横谷左近と言い、真田忍者として知られる。 父は横谷惣右衛門。弟に横谷惣左衛門幸秀と、横谷庄八郎重氏がいる。 もともとは雁ヶ沢城を本拠とする土豪で、真田昌幸・真田信之の2代に仕えた。 出浦清種(出羽清種...
吾妻与惣左衛門(我妻佐渡守、吾妻佐渡守)は、真田幸村の家臣であった三井景国の家来です。 1615年、大阪夏の陣の際には、真田幸村の次男・真田大八と、阿梅・阿菖蒲・おかね、そして付き添い役となった穴山小助の娘が、京都に滞在していた伊達政宗の...
樋口角兵衛(ひぐち-かくべえ)は、樋口鑑久(樋口下総守鑑久)の子で、母は久野と言う。 この母・久野は、真田昌幸の正室である山手殿の妹とされる。 甲斐の甲府にいた際には、向かってきた暴れ馬を押しつけたという逸話がある。 武勇に優れた武将で、...
常田隆永(ときだ-たかなが)の父は諸説有、真田頼昌、海野棟綱、海野幸義などがある。 海野棟綱の3男とする説になると、武田信玄に仕えた真田幸隆が兄であり、常田隆永は常田家に養子として入った。 なお、矢沢頼綱よりも早く武田幸隆の配下に加わった...
塔原幸貞(とうばら-ゆきさだ、海野幸貞、海野三河守幸貞)は、海野輝幸の4男で、正室は矢沢頼綱の娘であり、真田昌幸とは従兄弟にあたる。真田昌幸の進言により、武田勝頼から塔原家の家督を相続することが認められ、信濃先方衆20騎持ち塔原城主となる。...