真田高勝(真田信春)は、1549年生まれの真田幸隆の5男とされる。
母は河原隆正の妹とされる。
兄は真田信綱・真田昌輝・真田昌幸・真田信昌、真田信尹。
真田信尹が4男で、真田高勝(真田信春)が5男とする説もある。
別の名では真田隆勝、真田清鏡とも。
真田高勝は真田宮内介(くないのすけ)と称し、のちに金井家を継ぐと帰農して金井高勝と名を改めた。
小県・丸子御嶽堂の屋敷は2重の堀に囲まれていたと言う。
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長野の小県郡丸子町飯沼の龍顔寺(高勝寺)が墓所で、その西方に館があったとされる。
その屋敷の背後は尾野山城とされる。
1606年7月7日に死去。
翌年、真田信之が菩提寺に対して寺領3貫文を寄進している。
子孫は帰農したとする説もある。