右京の局(うきょうのつぼね)は真田信之(真田信幸)の側室です。
出自は諸説あり、松代城代を務めた玉川秀政(玉川伊豫守)の娘とする説と、京都で薬屋をやっていた玉屋の娘とする説があります。
※京都の右京にいたため、右京の局と呼ばれたとある。
松代藩2代藩主・真田信政の母、真田信之の正室となった小松殿が産んだ子とされていますが、「松代名士伝」では右京の局が1597年に産んだとしています。
右京の局は、真田信之の死後、玉川右京女金子千両配分との記録があり、剃髪すると妙貞と云い京都の尼寺に住み、清花院殿と呼ばれます。
1672年11月5日に死去。法名は梅翁院殿正覚妙貞大姉で、菩提を弔うために真田家は梅翁院を松代に創建しました。
なお、真田信之が、某女中を妊娠させたと言う話があります。
この時、お家騒動にならないように、その女中を他藩に預けたと言う伝承もあり、この時の子供が後に臨済宗の高僧とにった道鏡恵端禅師(どうきょうえたんぜんじ、正受老人)だとする言い伝えもあります。
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