2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」に登場する、真田家の家臣・堀田作兵衛と、その娘・梅に関しても追記し更新致しました。
堀田作兵衛興重(堀田興重)は真田家の家臣。
堀田作兵衛(堀田興重)の娘は、一般的には真田信繁(真田幸村)の側室として知られるが、竹林院が嫡男・真田大助(真田幸昌)を産むまで、もしくは、竹林院が嫁ぐまでは正室であった可能性が有る。
大河ドラマ「真田丸」で堀田作兵衛を演じるのは藤本隆宏さんで農民らのリーダーと言う設定。
その娘である梅を演じる女優さんは、大河ドラマ初出演となる黒木華さんで、ドラマでは大きく関わって来るものと推測する。
ただし「真田丸」での「梅」は、堀田作兵衛の「妹」と言う設定になっているようで、やはり真田信繁(真田幸村)の最初の子を産む。
いずれにせよ、堀田作兵衛(堀田興重)の娘(梅)は真田信繁(真田幸村)の長女・阿菊(お菊、すへ)を産んだ。
上田城下にて生まれたと考えられている。
なお、堀田作兵衛(堀田興重)の娘の兄も父同様に「堀田興重(堀田作兵衛)」と称したようなので、史料も錯綜しており混同しないよう注意が必要だ。
阿菊(お菊、すへ)の兄となる堀田作兵衛(堀田興重)は、大阪の陣で真田信繁(真田幸村)が大阪城に入ったと聞くと、阿菊(お菊、すへ)を石合重定(石合十蔵重定)に預け、信濃から49人の同志を連れて大阪城へと駆けつけた。
そして、真田信繁(真田幸村)と共に「真田丸」にて奮戦するも大阪冬の陣にて討死した。
※大阪夏の陣にて討死したともされる。
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真田幸村の長女・すへ(阿菊・お菊)は、真田幸村が九度山に蟄居すると、上田にて伯父の堀田作兵衛(堀田興重)が養女として迎えて育てたとされる。
そのため、すへ(阿菊・お菊)は九度山には行っていない。
のちに堀田作兵衛興重(堀田興重)が、信濃・長窪宿の郷士(問屋)・石合重定(石合十蔵重定)(石合道定とも?)に嫁がせたとも?言う。
大河ドラマ「真田丸」では、石合十蔵の名を採用している。
石合重定(石合道定?)が堀田興重に、真田幸村の安否を気遣う手紙を出すと、真田幸村は1615年2月10日付の手紙で、阿菊(お菊、すへ)の夫・石合十蔵に対して下記のように返書を出している。
私ども父子のことをご案じになり、作兵衛方までおたずねになられたとのこと。もっともなことでございます。
私ども籠城の上は必死の覚悟でおりますから、この世で面談することはもうないかと存じます。
この「すへ(娘と言う意味とも?)」いろいろとお心にかなわぬことがございましても、どうかお見捨てなきようお頼み申します。
くわしいことは惣右衛門が申し伝えます。謹言。
すへ(阿菊・お菊)は1642年没。享年は不詳。
墓は長門町の西蓮寺にある。
長久保宿旧本陣石合家住宅
と言う事で、長窪宿(長久保)の石合十蔵 (いしあい-じゅうぞう)「石合家」に行って参りました。
長久保宿旧本陣石合家住宅と言う事で、寛永年間(1624年~1644年)に建造されたそうです。
旧中山道沿いにあり、現存する中山道の本陣としては最古の建築といわれます。
長久保宿本陣は代々、石合家が勤めたと言うので「すへ」が存命中にも、大名などが中山道を通って長久保宿にも寄ったことでしょう。
現在は、上段の間、二之間、三之間、入側が残っているそうです。
本陣・脇本陣各1軒、旅籠が43軒、人口721人と比較的大きな宿場だったようで、高札場跡も復元されていました。
ただし、石合家住宅は石合さまが生活している建物ですので、もちろん非公開です。
街道沿いから門を見学する程度となりますこと、念のため記載しておきます。
長久保宿旧本陣石合家住宅と高札場跡の場所ですが、下記の地図ポイント地点です。
地図は縮尺変更してご確認願います。
比較的、丸子城も近いです。
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