宮ノ下藤右衛門【真田家の家臣】

 宮ノ下藤右衛門(みやのした-とうえもん)と言う名が、戦国武将・真田家の家臣として見受けられます。

 宮ノ下家は佐久郡宮ノ下村を知行していた村上義清の家臣だったようですが、武田信玄によって村上義清が越後へ逃亡すると、そのあと武田家臣となり信濃先方衆として活躍したようです。

 武田信玄の家臣になったのは、宮ノ下備後であり、それから4代目の宮ノ下孫兵衛は真田昌幸に仕えました。
 そして、宮ノ下孫兵衛の子・宮ノ下藤右衛門は、真田信之の家老になっています。



 大坂夏の陣の後、豊臣秀頼に呼応して大阪城に入った真田信繁(真田幸村)を、真田信之が支援していたのではないか?と、徳川幕府から疑惑を掛けられた際に、宮ノ下藤右衛門が責任を取って浪人になったとされています。

 宮ノ下藤右衛門が豊臣勢に鉄砲を調達し、その代金として200両を受け取ったと言うのが罪の内容と言う事で「放ち討ち」となると、新井宿(本庄市)に隠棲した模様です。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!







関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. 2016年 4月 26日

最新記事

  1. 名護屋城

    真田昌幸・信幸・信繁(幸村)父子が在陣した「名護屋城」~構造・整備状況を中心に~

    概要 真田昌幸・信幸・信繁(幸村)父子は、1592(文禄元)年から1598(慶長3)年までの朝鮮出…
  2. 名護屋城

    真田一族と朝鮮出兵~「名護屋城」への在陣~

    朝鮮出兵の概要 全国統一を果たした豊臣秀吉は明の征服を試み、1587(天正15)年、対馬の大名…
  3. 忍城

    真田父子も攻めた「忍の浮き城・忍城」~その歴史と現状~

    概要 豊臣秀吉の小田原攻めにおいて、北国勢に属した真田昌幸と信幸・信繁父子は「鉢形城」(埼玉県…
ページ上部へ戻る