真田家の家宝である【藤四郎吉光】徳川家康から拝領した短刀

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 真田家の家宝と言えば、1600年、関ヶ原の戦いの際に、真田信幸(真田信之)が、徳川家康に味方した際に、江戸城へと人質に出された、4歳の次男・真田信政が、徳川家康より拝領した「藤四郎吉光の短刀」が有名でして、松代藩・真田家では重代の家宝として伝えられてきました。

 現在は松代の真田宝物館に収蔵されていますので、文化財としてご紹介致します。

 藤四郎吉光は通称で本名は粟田口吉光(あわたぐち-よしみつ)と言います。
 鎌倉時代中期に京の粟田口で活躍した名工であり、豊臣秀吉によって、岡崎正宗・郷義弘と共に「天下の三名工」と称されました。

 真田家の家宝もそうですが、現存する刀は短刀がほとんどであり、古来より珍重されたため、 織田信長、豊臣秀吉と言った権力者の元に置かれ、本能寺の変、大坂夏の陣で焼身になった刀が多いと言います。
 徳川家康は、その刀を探させて、一部は焼きなおされて復活を遂げさせました。




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 なお、藤四郎吉光の短刀・刀は4つが「国宝」に指定されています。

 真田家の藤四郎吉光は、平造り三ッ棟の短刀で、刀長は24㎝、茎長11㎝で、重ねはやや厚目、板目肌がよく練れていいます。
 刃文は小沸(にえ)出来(でき)の中直刃(なかすぐは)で先栗尻との事です。

 3個の目釘穴のうち1個は金が埋め込まれており、大振りの二字銘で「吉」の字の一部が目釘穴にかかっているとの事です。
 二重ハバキは金無垢(むく)の台付で、小柄に関しては初代・後藤祐乗の作とのとこです。

 この藤四郎吉光の短刀は、松代藩が明治維新まで、とりつぶしに合わずに存続できた要因のひとつとされています。
 真田家では重宝の筆頭として、火災などの緊急時に担ぎ出す長持ちの奥深くに保管していました。
 花の丸御殿の玄関に次ぐ大広間の床の間に、腰の物、箪笥(たんす)、惣青貝の槍、大太刀とともに安置されていたと言う、番頭1人、武士5人が列座して昼夜問わず警護を怠らなかったと言います。

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