出浦盛清【出浦昌相】(出浦対馬守盛清)とは~出浦昌相の最期は


スポンサーリンク
スポンサーリンク

出浦盛清(出浦昌相)

出浦盛清(いでうらもりきよ)は、村上氏の一族で更級郡村上村の出身。
2016年の大河ドラマ「真田丸」では出浦昌相(いでうらまさすけ)の方の名前が採用されて、俳優の寺島進さんが演じる。
出浦清種(出浦左衛門尉清種)の次男とされ、更級郡の上平城主(出浦城主)となった。
長男は出浦清正、内山城代(内山城主)だった出浦清則が次男とし、出浦盛清が三男とする系図もあるとの事。
別説ではと、武田信玄を2度破った村上義清の弟とも伝わる。
村上義清が越後に逃れると、武田信玄に臣従し、武田家の素破(忍者部隊)を預かっている。

出浦昌相は部下より先んじて自ら敵情を視察するなどし、また、見てきたとウソをついた素破を見破ったとする逸話も残されている。
居城は、村上義清の葛尾城から千曲川を挟んで向かい側にある、出浦城(上平城)(岩井堂山)だったようだ。

 スポンサーリンク


1582年頃は出浦上総守と称しており、武田勝頼織田信長に敗れて、武田家滅亡となったあとは森長可に従った。
しかし、明智光秀本能寺の変を起こすと、西へ戻る森長可を猿ヶ馬場峠まで見送った功績により、形見の脇差を貰ったとされる。
1583年からは真田昌幸真田信之に仕え、小県郡武石村に30貫文を領し、吾妻奉行を拝命し、一時、岩櫃城主(岩櫃城代)にもなっている。
吾妻の忍び衆を統率して活躍し、小田原攻めが行われた1590年6月の忍城攻めでも奮戦し武功を挙げた。
のち松代藩の忍者の頭領となり、出浦対馬守と称した。

関ヶ原の戦いのあと出浦昌相は、上州吾妻郡の長野原もしくは岩櫃城近くの群馬原町に住んだ。

大坂の陣のあと、1622年に、鴻巣から真田信之が出浦盛清に宛てた手紙が現存する。
上田城から松代城への加増転封を命ぜらたと言う内容で、移封の準備を進めて欲しいとある。

しかし、その翌年の1623年、出浦盛清は78歳で死去した。
忍者としての対馬守には逸話が多い。

大河ドラマ「真田丸」にて出浦昌相を演じている、寺島進さんは、下記のようにインタビューにて答えている。

真田丸第31回「終焉(しゅうえん)」では、真田信幸に忍びの技を気づかれて、徳川家康暗殺に失敗し、死ぬような目に合ってしまいましたからね。史実では今後、出浦が信幸に仕えるということもあるようなのですが、こちらとしては気持ちの整理がつきません。
それを三谷さんにお伝えしたら「ちょっと考えます」とお返事をいただきました。出浦の今後は、視聴者の皆さんと一緒に楽しみにしたいと思っています。

出浦昌相の子・出浦幸吉は、松代藩主・真田信之のもとで武者奉行を務め、1597年には岩櫃城代にもなり、1000石にて家老となっている。

出浦家は村上家の一族であるため、家紋は「上」と言う字で、村上水軍とも同じである。

出浦氏の本拠地・出浦城

出浦盛清(出浦昌相)の出浦氏の居城だとされるのが、出浦城(岩井堂山)となります。

千曲川を挟んで、村上義清の葛尾城の反対側です。
下記の地図ポイント地点ですね。

南側にある室賀峠を越えて南下すると、室賀氏の所領となります。

佐助(猿飛佐助)の詳細はこちら
村上義清~北信の雄・葛尾城主【村上義清居館跡など】
伏見城の戦いと伏見城 【関ヶ原の戦い前哨戦】
真田信之【真田信幸】とは?詳細版で詳しくわかる吉光のお長持
石田三成とは~律儀で算術が得意だった才ある武将の印象も
大谷吉継の雄姿~関ヶ原の戦いでも石田三成に加勢
本多忠勝~名槍が似合う豪将・徳川四天王
関ヶ原実用観光マップ作りました〜関ヶ原の戦い史跡観光スポット情報

スポンサーリンク
スポンサーリンク

関連記事

コメント

    • 出浦
    • 2016年 3月 10日

    こちらのサイトの文言を流用される方が増えています。NHK出版の本も同じ誤記となっていました。

    もちきよ→もりきよ、出羽→出浦、岩櫃城主→岩櫃城代、長野原→群馬原町でしょうか?

    出浦城こと上平城も千曲市側の更級郡となっていますが崩れたとされる城郭は葛尾城側を向いていたということなのかと考えました。今残っている遺構は坂城町側の埴科郡の方が多そうです。

    父を主計頭の出浦清種とする系図では、長男を出浦清正、内山城代だった出浦清則が次男で出浦盛清は三男としていることもありますね。

    父の対馬守を盛清と呼ぶ説。主水佐→上総介、上総守→対馬守の子の昌相を盛清、あるいは吾妻地方に伝わり顕徳寺に位牌もある幸久と呼ぶ説。はっきりしているのは昌相の子が半平幸吉ってことくらいでしょうか。
    本当にややこしい人です。

    お手数ですが誤字と確定した部分につきましては何かの機会に修正いただければと思います。

    • 高田哲也
    • 2016年 3月 11日

    出浦さま、この度は、コメントを賜りまして、誠にありがとうございます。
    改めて検証させて頂きまして、確認が取れた部分は修正させて頂きました。

    漢字の違いに関しては、参考にしたものがそもそも間違っていたようです。
    検証不足でお詫び申し上げます。
    充分に確認がとれていない部分は併記する形を取らせて頂き、今後の課題とさせて頂きました。

    なお、城主と城代の違いに関してですが、厳密には城代と言う事でも、当サイトでは分かりやすく城主と明記することがありますこと、ご理解を賜りますと幸いです。

    また、他のご指摘に関しても大変参考になります。ありがとうございます。
    一部は本文に加筆させて頂きまして、今回賜りましたコメントもそのまま掲載させて頂きます。

    以上、コメントを賜りました事、改めまして深く御礼申し上げます。

 各ページのリンク・紹介は自由で報告も不要です。
 当サイトに掲載されている写真・画像、その他商品名・番組名などは、各社の商標・登録商標・著作物です。

 記載内容は可能な限り事実に基づき、公平になるよう配慮致しておりますが、史料自体の問題などもあり、中には誤認もあるかと存じます。
 ご指摘賜れば、再調査の上、必要に応じて修正・加筆など行いますので、誤字・脱字のご指摘と合わせて、コメント欄よりご一報賜りますと幸いです。

真田信繁 真田昌幸 小松姫と真田信之 豊臣秀吉 石田三成 淀殿 徳川家康 坂野惇子
戦国らいふ
 オリジナル書籍
柳生一族
2016年10月、書籍・電子書籍にて販売開始

 オリジナル電子書籍

2016年8月、戦国武将研究会著作
ページ上部へ戻る