真田信吉とは~真田信之と真田信綱の娘との間に生まれた長男
真田信吉(さなだ-のぶよし)は、真田信幸(真田信之)の長男として、1595年に生まれた。母は、この当時正室であったとも考えられる真田信綱の娘(清音院)。この母は、のちに真田信幸が本多忠勝の娘・小松姫を迎えた際に、側室に降格となっている。なお...
真田信吉(さなだ-のぶよし)は、真田信幸(真田信之)の長男として、1595年に生まれた。母は、この当時正室であったとも考えられる真田信綱の娘(清音院)。この母は、のちに真田信幸が本多忠勝の娘・小松姫を迎えた際に、側室に降格となっている。なお...
真田幸村(真田信繁)に関する、ゆかりの地を一覧表にしてみました。みどころ・ポイント、アクセスや場所・行き方など詳しい情報・地図や駐車場情報などはリンク先にてご紹介致しております。ご訪問なさる際の参考になさって頂けますと幸いです。スポンサーリ...
真田信之(さなだ-のぶゆき)は、武藤喜兵衛(真田昌幸)の嫡男として1566年に生まれた。幼名は源三郎。母は山手殿。父・武藤喜兵衛は、真田幸隆の3男であったことから、武藤三郎左衛門尉の養子となっており、騎馬15騎、足軽30人を率いる足軽大将と...
真田大八は、1612年、真田幸村(真田信繁)の次男として、九度山で生まれた。幼名が大八。母は正室・竹林院(安岐姫)とされていますが、この真田大八に関してもひとつの説としてご紹介する。1614年、大阪冬の陣では、兄・真田大助(14歳)や、姉・...
沼田城(ぬまたじょう)は、1532年に沼田顕泰が築城し、以後、沼田家の拠点となりました。 河岸段丘の台地上となる標高約400mの丘城であり、沼田駅は標高約330mですので、比高は約70mとなります。 沼田氏の先祖は諸説ありますが、鎌倉時代...
名胡桃城(なぐるみじょう)が最初に築かれたのは、1492年に沼田城主・沼田景久の時代とされます。3男である、名胡桃景冬(名胡桃三郎景冬)が沼田城の支城として築城し、その子・名胡景夏が継承しました。沼田家は北条家を頼るのか、はたまた上杉家を頼...
1604年生まれとされる阿梅(おうめ)は真田幸村の娘で、母は高梨内記の娘・采女(うめね)とも言われる。※采女とは高梨内記と言う武将の事を差しているとも推定されていますし、母親に関してはもちろん諸説あります。この高梨内記は、真田昌幸と真田幸村...
あぐりは真田幸村の4娘として誕生しました。 母は正室。竹林院ですが、あぐりの生没年は不詳です。 母の説では、高橋内記の娘説もあるようです。 あぐりと母・竹林院は、大阪夏の陣の際、紀伊にて隠れていましたが捕縛され、京都にいた徳川家康に引き渡...
長野県にある別所温泉の外湯「石湯」をご紹介致します。 この石湯は、小さな外湯ですが、なんと「真田幸村の隠し湯」と言う触れ込みになっております。 ちょっと調べて見ましたら、池波正太郎さんが著作した「真田太平記」の中で、真田幸村とお江と言う女...
真田昌幸が築いた上田城から西へと約10分ほど歩くと「芳泉寺」があります。 上田城から向かう経路からご紹介したいと思います。 現在の上田城からは、西側にある小泉橋を抜けて道なりに進むと、旧松本街道の石碑が見えてきます。 その坂へ左折して降...